「おもしろい」という新しい報酬
【藤原】それと、変化を起こすときに僕が大事だと思うのは、これは経営学でも学校教育でも聞かれないワードですが、みんなが「おもしろがれる」かどうか。たとえば近年「学校を(地域社会に)開く」ことがかけ声になっていますが、参観日を増やすだけでは効果はありません。なぜなら、おもしろくないところに人はやって来ないからです。人が集まるとすれば、面白いから人の情念が結集する、エネルギーが集まってくる。エネルギーレベルが高まれば、実体経済にまで影響を及ぼすということです。
【若新】同感です。おもしろさが大事だと思った例がJK課でもたくさんあります。消防署から依頼があって行ってみると、職業体験用のコスチュームとビラが用意してありました。そこでメンバーの1人が言ったのは、「こんな格好でビラ配っても、意味なくないですか?」って。
では、どうしたらいいと思うか聞いてみると、「消防車を出動させて、はしご車に上って火の用心を訴えたい」と言うわけです。職員が消防署の人と相談すると、「やったことないけど、面白そうだね」と乗ってきちゃった。ただ、そのためには消防車を安全に設置する広い場所が必要です。すると地元のショッピングセンターの店長が、「おもしろそうだね、駐車場を封鎖するからやって」と駐車場を貸してくれたんです。
なんというか、おもしろさが高まるとコラボレーションが始まるんですよね。「おもしろさ」が、積極的に活動することへの新しい報酬になっているんだと思うんです。
【藤原】「新しい報酬」。いいワードですね。教育の現場でも、この「新しい報酬」の仕掛けが必要だと思います。これまで学校は、地域の人たちに手伝ってもらうことを当然だと思ってきました。たとえば運動会のとき、自転車置き場を保護者が整理するのは当たり前。そのために保護者が自分の子どもの走る場面を見られなくても、です。それは「子ども」という「人質」とのトレードです。そのことを先生たちはあまり意識できていません。
【若新】自治体も同じです。自治体が市民の個人情報を預かり、暮らしを支える社会保障サービスも握っています。市民はそれと引き換えに公共への寄与を求められてきた部分があります。だから自治体と市民の間に緊張関係や距離が生まれるのは当然です。市民参加の考え方が「責任を果たす」ものから、「おもしろいから参加する」ものへと変わっていくといいんですけどね。
(次回につづく)