「頭のいい子」の親は「勉強しろ」と言わない、は本当か?
はじめに。
夏休み、遊びほうけの我が子。親としてはつい「勉強しろ」と言いたくなります。勉強しろ、という親。いわない親。その差と子どもの反応はどうなっているのでしょう。
本稿における「頭のいい子」とは「学業成績が良い」だけでなく「生きる力がある子」のことを指します。
次期学習指導要領への改訂に伴い、文部科学省では様々な論議がなされています。先日の発表では、グローバル化に向けて小学校の英語の教科化や、道徳の教科化、全教科でアクティブ・ラーニングを導入するといった方針が示されました。このアクティブ・ラーニングの重要キーワードは次の3つです。
(1)主体的な学び
(2)対話的な学び
(3)深い学び
こういった学び方を通して、生きる力がある子どもを育てようというねらいがあります。
テストの問に正しく答えられることも頭の良さのひとつ。
一方で「クラスの演劇発表会をどうやって成功させるか?」を仲間との対話を通して考えて、実行できるのも頭の良さのひとつです。
また「そもそも、何のために演劇発表会をやるのか? これを通してどんな自分になりたいのか?」と深く掘り下げて考えていけるのも頭の良さのひとつです。つまりは、学力面に限らず生活上の諸問題にも対応していけるのが生きる力です。これらのことができる子どもを本稿では「頭のいい子」と定義します。
ただ恐らく、当面気になるのは、我が子のダラダラ加減に伴う「夏休み中の勉強は大丈夫なのか」という一点。ここを中心に「頭のいい子」と「勉強しろ」の関係を読み解いていきます。
前提として、我が子が「放っておいても自分からは勉強をやらない」状態とします。
ここもふたつに分かれて「言われるとやる」グループと「言われてもやらない」グループになりますが、あくまで目指すのは「言われなくてもやる」という「頭のいい子」です。
(なお、塾通いも勉強する手段の一つですが、今回は「夏休み中に自分から勉強を全くしない」がお悩みポイントなので、必然的に勉強することになるこの場合は除外して考えます)