賢い親は、子供に勉強しろと言う前に自分を変える
前回(現役教諭「子供に『勉強しろ!』 と言うのは危ない」http://president.jp/articles/-/19930)は、夏休みにダラダラしている我が子を見て、つい言いたくなる「勉強しろ」は是か非かということについて書きました。
私の教諭経験から言えるのは、いわゆる「頭のいい子」の親は、「勉強しろ」とは言わないこと、また、賢い親ほど熱心に塾の講師や習い事の先生・コーチ選びをしっかりやり、間接的に我が子へ学ぶことの大切さを伝えていること(自分では言わない)でした。
今回は、その続き。子供に「勉強しろ」と命じるのは是か非かを問う前に、親である自分自身を振り返ってみましょう。
もし、子供にとって「大尊敬」レベルに達しているのなら、「勉強しろ」もOKです。ただ、「友だち親子」のような上下関係の薄い親子関係も多く見られる現代において、親でそこまでの絶大な尊敬をされているパターンは稀です。「厳格なる父」の存在も危ういです。そこで、子供にとって自分がどんな親であるかのモニタリングが必要です。
【我が子の気になる点を挙げてみよう】
ここで、我が子の夏休みの過ごし方を見て、「ここが気になる・直して欲しい」という点をいくつでもいいので挙げてください。できれば、紙に書くとよりいいです。最低ひとつは書いてください。
……書けましたか?
では、今挙げた項目を読み返してみてください。その中に、親である自分自身が抱えている課題はありませんか?
例えば、
「夜更かしをしている」とあれば、自分自身はどうか。
「ゲームをしすぎる」とあれば、いかがですか。
そして「進んで勉強をしない」とあれば、果たしてどうでしょうか。
「勉強」が宿題を指す場合、親なら「仕事」「やるべきこと」に置き換えても構いません。
実はこれは、拙著『やる気スイッチ押してみよう!』でも紹介している、他者の問題に対し、他者を変えるのではなく、自分自身を変えようという手法です(この本の中では、クラスで気になる子供の問題点を挙げるということを書いています)。
さて、「我が子のここが気になる点」について自分自身はどうかと考えたときの回答の傾向は、大きくふたつに分かれると思います。この結果が実は「子供にとって自分がどんな親か」を考える上での重要ポイントになるのです。