第一線で活躍する人たちは、どんな家で育ったのでしょうか? それは、とにかく子供がのびのび過ごせる場所だということ。子供の才能を開花させる、環境づくりの秘密を公開します!
「禁止」のない家のびのび遊んで骨折7回
大河ドラマ「天地人」の題字や、世界遺産「平泉」、スーパーコンピュータ「京」のロゴデザインを手掛けるなど、日本を代表する書道家として活躍する武田双雲さん。音楽家、彫刻家とのコラボレーションやパフォーマンス書道、前向きな生き方を説いたベストセラー『ポジティブの教科書』の著作など、書道家の枠を超えた存在として注目されています。そんな彼の原点は、熊本の実家にありました。
いまは両親も引っ越してしまいましたが、僕が幼稚園から中学卒業まで過ごした家は、熊本市内の住宅街にありました。3階建ての小さなビルで、1階が父の会社、2階・3階が住居スペースです。父の会社は、祖父の代から続く競輪新聞社。従業員が15人くらいとそれなりの規模だったので、オフィスは100平方メートルくらいあったでしょうか。したがって、上の住居スペースは200平方メートルくらいで、さらに大きなベランダや屋上までついていたので、とても広かったと記憶しています。
僕はその広い家で、とにかく自由に遊ばせてもらいました。ベランダでローラースケートをしたり、屋上に段ボールで秘密基地をつくって、夜中に懐中電灯をつけてこもったり、ファミコンをするために、大勢の友達を呼んだり。何をしても、怒られた記憶はありません。
うちの両親の子育てをひと言でいうなら、“放任肯定主義”です。書道家の母に3歳から手ほどきを受けた書道については厳しかったですが、勉強や行儀については一切言われたことはありません。家の中で暴れて、階段の踏み板を割っても怒られない。それどころか、母からは「元気でよか」と肯定される。止められないものだから、いろんなチャレンジをして、これまでに骨折は7回。本数でいうと10本以上折っていますから、普通よりは多いでしょうか(笑)。