父も「大智(だいち:本名)は天才」が口癖で、何をしても手放しで肯定してくれました。大学を卒業してNTTに就職したときは、「代々自営業の武田家から、大企業の会社員が出た!」と大喜び。だけど、そんな会社を辞めて書道家になると言ったときも、「やっぱり、大智は天才たい」と感心してくれる。そして、「絶対大丈夫、大丈夫。なにかあったら、俺が助けるけん」と応援してくれる。だから、僕はいつでも前向きにチャレンジすることができた。本当に両親には感謝しています。

“巣づくり”だけに懸命に取り組んだ母

こう話すと、理想的な親のようですが、ダメなところもいっぱいあります。父は基本ギャンブラーなので、「勝った」「負けた」でいつも興奮している。母も日本人離れした喜怒哀楽の持ち主で、やはりいつも興奮している(笑)。だから、しょっちゅう激しい夫婦喧嘩をしては、ドアを壊したり、皿を投げたり、どちらかが失踪してしまったり。本当に恐竜が2匹暴れているような状態でした。

しつけもうるさくなかったと言いましたが、母自身が全然できていないから「言えない」というのが正解です。音を立てて食べたり、落ちたものを食べたりするので、「母ちゃん、それはさすがにまずいよ」と僕や2人の弟が注意する始末。さらに母は完全夜型人間で、小学校時代も朝、起こしてもらった記憶がありません(苦笑)。そんなふうだから、母は僕が宿題をやっていなくても気づかないし、テストの点数も知らない。だから、勉強しなさいとも言わなかったのではないでしょうか。

でも、母が教育に無関心だったかというと、そうではありません。リビングには壁一面を使った大きな本棚があったのですが、そこには分厚い辞書や百科事典、母がだまされて買った高い教材やらがズラリと並んでいました。書道は熱心に教えてくれましたし、子供にいい習い事があると聞けば調べに行って、僕や2人の弟を通わせてくれたものです。