漠然と「勉強しろ」と言っても伝わらない
【ダラダラ親なら、まず自分に「勉強のススメ」】
ひとつ目は、「自分にもたくさん当てはまっている」という親です。恐らく、反省の念が湧くとともに、くすっと笑ってしまうと思います。
「さすが我が子、自分と同じだ」と。
子供の頃から、いや、もしかしたら今も、自分自身も結構ダラダラ過ごしていたのではないでしょうか。であれば、やるべきことはシンプルで、子供に求める前にまずは自分がやることです。
もし、親自身が勉強していないなら、「勉強しろ」は無駄なので、控えた方がよさそうです。
親の背中を見て育つのだから、「そうは言ってもね」と子供に思われるのがオチです。言えば言うほど、言うことを全く聞かない我が子のダラダラぶりが自分と重なって、ますます腹が立ちます(傍から見ると、コントみたいで結構楽しいです。)
【エリート親なら我が子へ指導せずに「支援」を】
もうひとつのタイプは、自分には「子供の課題が全く当てはまっていない」という親です。「なぜ、自分と違って我が子はこんなにダラしないのか」と思うパターンです。
幼い頃から自分自身も親に厳しく躾けられていたり、「できる」「いい子」と見られていたりする人が多いのではないでしょうか。仮に、このタイプでなおかつ押しの強い親の場合、子供が「できないお子さん」であれば、それは子供たちにとっては辛い状況です。子供たちからすれば「理解不能」「何でそうなの?」と責め立てられることになり、親子間の「共感」が得られません。親とすれば「わかっているけど、どうにもできない」という子供の気持ちに寄り添う感覚が必要です。
この、いわばエリート的な親御さんの場合、我が子に必要なのは指導ではなく、支援です。指導が「指す・導く」というある程度動ける相手に対しての行為に対し、支援は「支える・たすける・ひく」という1人で動くのが難しく、多くの助けが必要な相手への行為です。介護や軍事にも使われる用語です。
我が子は、自分と違い、放っておくと勉強しない類の人なのです。認めましょう。だから、「勉強しろ」というような曖昧な指導ではなく、具体的な援助が必要です。自律できないのだから、他律が必要です。具体的に何をすべきか、次項で見ていきましょう。