「ウチの子、クラスで浮いてませんか?」
主体的に行動し、協働できる人間。
これが今、教育の現場が子どもたちに求めている人物像です。「アクティブ・ラーニング」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、求めるところはまさにこれです。
さて、この「主体的」は、自らということですから、他に依(よ)らないことです。「協働」とは、人と関わることです。つまり、「一人で生きる力」と「他人と協力して生きる力」という、一見正反対の両面を同時に求められています。
学校現場では、そのために授業形態を工夫するなど試行錯誤しているところです。
では、親はどのような意識で、学校を見ているのでしょうか? 以下、親が学校に求めるものは何なのかを見ていきます。
【主体性を伸ばせば、「浮く」のは当たり前】
学級担任として十数年やっていると、様々な共通項が見えてきます。学年、男女、地域差、いろいろな違いがあっても、似た傾向が見られるものがあります。
例えば、家庭訪問や面談をした時、出てくる悩みや願いの傾向は同じです。
小学校低学年の男子であれば、「だらしない」「宿題をやらなくて困る」といった躾の悩み。同女子であれば、「お友達とうまく関わっているか」という人間関係の心配です。
高学年の男子であれば、「親(特に母親)の言うことにいちいち反抗して、すごい言葉づかいをする」といった悩み。同女子であれば、「女子のグループ化についての不安」(母親自身の経験によるものと思われます)です。
学年に関係なく、多い悩みは、学力に関わるものと、体力に関わるものです。ほとんどの場合、この学力・体力はどちらか一方があると、他方が欠けていて、親は欠けている方にどうしても目が行きます。
ですから、この2つについては、「下手の“心配”休むに似たり」ですので、良い方に目を向けてあげてください。正直、成長の過程(特に中学進学後)に大幅に変わります。
さらに、いつの時代も親の関心が最も高いのは、やはり「友だち関係」でしょう。周りの子どもとうまくやっているのか、溶け込めているのか、という心配です。もっと平たく言うと、「うちの子は浮いていないか」ということです。
社会が個性伸長を求めているものの、我が子が「浮く」のは困るわけです。主体性を伸ばし、個性を徹底的に伸ばせばある程度「浮く」のは当然なのですが、教室で浮くのは×なのです。
もちろん「いじめられていないか」を心配するのはよくわかります。我が子がいじめられているのであれば、当然何らかの対策をとってほしいと願うのは当たり前です。
ただ、ここで「いじめられていないか」と混同されがちなのが「一人でいないか」です。この質問を親がする場合、潜在的に期待しているのは「いつも一緒の仲良しのともだちがいること」です。
実は、ここにこそ問題が潜んでいます。