「一人でも平気」な子のほうが健全
【教室内個室! 生徒一人を認める環境もある】
普通、教室は公のオープンな空間であり、一人でいられるプライベートな空間はありません。しかし、子どもだって大人と同じで、一人になりたい時があるものです。
私の知り合いに、石川晋先生という、北海道の中学校国語教師がいます。著書『学校でしなやかに生きるということ』を読むと、この先生の教室には、通常ではあまり見られないものがいろいろと置いてあるようです。
その中の一つが、「しあわせのへや」です。教室を本棚やパーティションで区切り、一人きりになれる個室を作っているそうです。
例えば、生徒がキレそうになった時、「しあわせのへや」に逃げ込み、落ち着けます。一人になりたい時には、誰でも使えるようです(ただし、教員の管理職には「見えない場所はちょっと……」と苦い顔をされるそうですが)。
一人でいる。健全なことです。人間は、本来一人なのです。一人で立てる人間同士が必要に応じて助け合うというのが健全な社会です。寄りかかっているのとは違うのです。
だったら、「教室での一人」をもっと認めればいいのです。休み時間、本を読みたければ堂々と本を読めるようにすればいい。私が現在担任を受け持つクラスでは、外に遊びに行く子どもだけでなく、一人で本を読む子どもが数人教室にいるという風景もよく見られます。
この「一人が数人」というのがポイントです。
【いつでも、誰とでもゆるやかにつながれるスキル】
親は「うちの子は、休み時間一人でいる」=「うちの子だけが一人ぼっち?」=「いじめられている、嫌われている?」と考えがちです。
それは、早合点です。事実は、「一人でいる子どもが数人いる」です。
クラスに40人いるとして、39人は誰かいつも一緒の友だちがいるという状況は、通常の教室では滅多にあり得ません。最低1割はよく一人でいます。大人しい子どもがほとんどです(活発な子どもは、何だかんだで集団の遊びに入りに外に出ます)。
それぞれが相手を「仲間外れ」にしているとしたら、完全に矛盾しています。もし、それぞれが「自分だけがひとりぼっち」と寂しくなれば、互いに一緒になれるのです。
だから、互いに「外遊び行こうよ」と声をかけられたら、出ることもあります。無論、やんわり断って出ないこともありますが、それもありです。
ゆるやかに、誰とでも、必要な時にはつながれる。社会に出てからも必要な態度ではないでしょうか。