「勉強しろ」と言わない哲学

▼それぞれに勉強に取り組む三谷家3姉妹

過去20年ちょっと、娘3人に「勉強しろ」と言ったことはありません。それでも3人は、各人なりに学校の勉強に取り組んできたようです。

・卓球命だった長女が中2のとき。「友だちはみんな、勉強しろと言われてる。でも勉強しろと言われないから勉強しなかった、ではダサ過ぎる」
・高2まで1日30分しか勉強しなかった次女。「K大を目指す! 今までやっていなかったことと、ちゃんと寝ていることが私の強み。ここ(E判定)からは上がるしかない」
・ずっと頑張っている三女。「クラスで平均以下はダメ。それは格好悪い」

別に娘たちは東京大学に行ったわけでもなんでもありませんが、長女は管理栄養士の資格をとって第1志望のITベンチャーに就職し、次女は4点差でK大を逃しましたが後期日程で北海道大学に受かり、三女は私学の特進科で不思議な青春をしています。

なぜ私は娘たちに「勉強しろ」と言わなかったのでしょうか? その代わり、娘たちに何を求めたのでしょうか? そんな哲学をどこで身につけたのでしょうか?

まずは私自身の話から始めましょう。

「すべて自分で決める」ことを望んだ父。ただ聴いてくれた母

私が「勉強しろ」と言わない理由の第1は「自分が言われなかったから」です。八百屋の長男に産まれた私は、生まれてこの方一度も「勉強しろ」と言われたことがありません。両親ともが自宅兼店舗で働く中、毎日、大量の家業・家事手伝いはさせられていましたが、それだけでした。

「勉強しろ」と言わない姿勢がブレたことは一度もありません、と三谷氏。

親が勉強に関心がなかったわけではなく、姉には学習塾に行かせたり(当時、福井では珍しかった)、弟の大学進学に口を出したりしていました。でも私には一切何も言わず、テストの成績も高校・大学の進路も就職先も、すべて私からの事後報告を「おう」「そうなの」と聞くだけでした。母に聞くと、10年前に亡くなった父は、私を「本家の長男」として育てたかったそう。それはイコール「すべてを自分で考え自分で決める」ということであったようです。その通りになりました。そして勉強も。

たまたま私は知識欲が旺盛で好奇心も強く、自分で本を読んでは学び、ついでに学校の勉強もしていました。親に「勉強しろ」と言われなくとも自分で勝手にやる、母曰く「変な子ども」だったのです。でも両親は私に自ら学ぶ環境をくれました。それは「100冊のクリスマスプレゼント」であり、「私の自慢話を聴くこと」でした。

父は読書好きで、いつも何かしら読んでいました。子どもたちには「月1冊、好きな本を買ってよい」権利が与えられていましたが、あるクリスマスの朝、小1の私と姉の枕元には大きなダンボール箱に入った100冊の本が!

そんな本を読みかじっては「ねえねえ宇宙の年齢って知ってる?」と自慢をしにいく私の話を、母はただ「ふんふん」聴いてくれ、「また教えてね」と言ってくれました。宇宙のことなんてなんの興味もなかったのに。