塾と親に勉強させられた東大卒のニート
▼なぜ自ら勉強をするのか? 三女の答え
この原稿の執筆依頼をもらって、改めて三女に尋ねてみました。「なぜ自ら勉強をするのか?」と。三女はまず、こう答えました。
「だって塾に行かされている子は自分でやらなくても勉強することになるけど、うちは自分自身がやらなきゃ、アウトだもんね。クラスでビリなんてダサイから、そりゃするよ」
でもしばらく考えてから、こう付け加えました。
「それに、わからなかったことが理解できるのは楽しいよ。どんな科目も興味はあるし。もちろん、点数が悪すぎるとやる気は落ちるけどね。不得意なものはあっても勉強はキライじゃない。
それと危機感もあるかな。習いごとは大人になってもできるけど、ずっと勉強だけ(お手伝いとかは別にして)してられるなんて、子どもであるイマだけでしょ。だから、イマやらなきゃ、っても思う」
ふむふむ、その通りです。自分の夢(三女にはなりたい職業がある!)に向かって、じわじわ匍匐前進していって欲しいものです。
私が親として娘たちに望むことは(健康の他には)ただひとつ、「自分で決めて自分で動けるたくましい社会人に育つこと」です。それ以上のことは、ありません。大学・専門学校も就職先も、それが本人が努力の末に得たものなら、それで十分。将来の「幸せ」になんの関係もありません。あとはその場所で努力するだけの話です。
▼子ども自身に調べ考えさせる、面倒くさい親になろう
最近は小学3年生の3学期から「お受験」対策は始まるそうですが、子どもたちはそれからずっと親付きの塾漬けで「問題の解き方」も「勉強の仕方」も何もかもを教わっていきます。有名中学・高校・大学に進学すれば、それで親の自尊心は満たされるでしょう。仲間たちからの評価が何よりそこに偏っているので。
でも、そんな子どもたちには創意工夫や自立心が足りませんし、入学後の余力や伸びしろがありません。「高校までで燃え尽きてしまった東大生」に、これまで何人会ったことでしょうか。親に勉強しろと言われ続けて10年間努力をし続けた結果が、超高学歴ニートとは……。
多くの子どもたち・若者たち・親たちと接してきて、私は本気で思っています。「学歴や知識的な学力なんてどうでもいい」と。
であれば子どもに言うべきは「勉強しろ」ではなく「自分で決めよう」「改善の仕方を考えよう」でしょう。だから、そうしてきました。それだけです。
私は決して「子どもの自由にさせる親」ではありません。子どもたちにとっては「とても面倒くさい親」です。「勉強しろ」とは言いませんが、「進学したい」とは言わせますし、志望校をしっかり調査・研究させた上で、自ら選択させます。生半可な調査では許しません。
テストの結果(点数)に文句は言いませんが、その現状把握と改善案提出は毎回毎回、求めます。やらなければきっとお小遣いも携帯電話も、みんな一時停止です。なんてイヤな親でしょう。
でもきっと、そんなプロセスを通じて、娘たちが多少なりとも「自ら考え行動する力」を付けてくれているのではないかと思っています。
私たち親にできることはたかがしれていますが、子どもたちの意欲を引き出し、能力を高める努力はあってしかるべきでしょう。しかしそれは決して「勉強しろ」と叫び続けることではないはずです。
みなさんは、どう思いますか?
※参考図書:『親と子の「伝える技術」』(実務教育出版)/『一瞬で大切なことを決める技術』(中経の文庫)/『お手伝い至上主義でいこう!』(プレジデント社)