円高になってもインバウンドに影響はない?

【田原】懸念材料についても聞いておきましょう。最近、円高の影響でインバウンドに陰りが見え始めたという話がありますね。実際のところ、どうですか?

【須田】インバウンドの人数は今も増え続けています。ただ、円高で消費額が抑えられることは確かなので、爆買いを当て込んでいた小売業界は打撃を受けています。

【田原】訪日する人数は増えていても、宿泊数は減るんじゃないですか。いままで4泊していたところが3泊になるとか。

【須田】宿泊日数が減るのは悪くない傾向です。最近はLCCでちょろっと来て、ちょろっと泊まって帰る外国人が増えてきました。昔より気軽に訪日できるようになったということだから、また何度も来てもらえばいい。

【田原】では、須田さんの会社は円高の影響なしですか。

【須田】国にもよりますが、伸びている国は前年同月比で200%の売り上げがあるので、円高の影響は感じません。それより怖いのは、その国の経済が停滞すること。どこか1つの国に集中するとリスクがあるので、取引先は分散しています。中国・台湾・タイがわれわれのトップスリーで各15%。あとはベトナム、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポール。これだけ分散していれば、どこかがこけても自分たちはこけずにいけるとだろうと考えています。

マレーシア生まれ、インドネシアと日本育ち

【田原】須田さんが起業するまでのお話も聞かせてください。須田さんはマレーシアの出身だそうですね。

FREEPLUS社長・須田健太郎氏

【須田】母はマレーシアの華僑で、父は通信関連会社に勤める日本人。僕自身はマレーシアで生まれて、3歳からインドネシアで暮らしました。当時は住み込みのメイドさんが2人いて、家には車が2台あってそれぞれに運転手さんがいました。僕はそれが普通だと思っていましたが、10歳で日本に帰国すると、家はものすごく狭いし、母はショッピングセンターに自分で自転車でいく。その様子を見て、日本はなんて貧しい国なのだろうと思いました(笑)。

【田原】言葉は何語だったの?

【須田】3歳まで母とは中国語と英語で、父とは日本語で話していました。ただ、どれか1つにフォーカスしないと中途半端になるということで、インドネシアに移ってからは日本人幼稚園に通い、日本語をメインで話すように。メイドさんや運転手さんとはインドネシア語でしたが。

【田原】10歳のときに帰国して大阪で暮らし始めた。日本の暮らしはどうでした?

【須田】中学、高校時代は勉強が大嫌いでした。父からは、テストでいい点を取れ、いい大学に行け、学歴がないといい会社に入れないぞとよく怒られていましたが、僕はいい会社に入るために生きているわけじゃないと思っていて、ほとんど勉強しなかった。高校も大学も、勉強しないで受かるところに入りました。

【田原】勉強しないで何やってたの?

【須田】アルバイトです。僕は音楽が好きで、高1のときにアコースティックギターがどうしても欲しくなりました。ギターの価格は8万円。おこづかいでどうにかなる金額ではないので、とりあえずマクドナルドでバイトを始めたところ、おもしろさにすっかりハマってしまって。

【田原】アメリカでは誰でもできる仕事のことを揶揄して「マックジョブ」といったりしますね。そのバイトのどこがおもしろかったのですか。

【須田】部活みたいだったんです。仲間がいて、一生懸命やると自分が成長できて。学校では陸上部で頑張っていたのですが、似たおもしろさがありました。

【田原】成長できるってどういうことですか。

【須田】新人はひたすらパンと肉を焼くことしかできないのですが、そのうちハンバーガーやポテトをつくれるようになって、さらに接客や新人の教育係までできるようになって。18歳以上になれば、マネージャーにもなれます。マネージャーになると売り上げの計上から資材の発注まで店舗運営をかなりの部分まで任せてもらえて、30分ごとに出てくる売り上げで、自分のやっていることが正しいかどうかがすぐにわかる。バイトをやっていた5年間で、お金をもらいながら商売の勉強をさせてもらったような感じです。

【田原】5年ということは、大学生になってもバイトは続けていた?

【須田】はい。大学生では授業にほとんど出なくて、陸上とマクドナルドのバイトばかりやっていました。就活してる先輩たちは苦しそうにしているし、このまま部活とバイトだけ続けて生きていけたらいいなとお気楽に考えているような学生でしたね。