契約を、次々に見直していく。合併や廃業もあり、新たな契約書に替えたのは200数十社。むしろ特約店のほうが必死で、販路を広げ、生き残るための流通体制に変えようとする店主たちと、きちんと組めた。正しいと思う原則は、簡単には変えず、貫こうという思いは同じ。手応えは、強かった。
99年4月、営業企画部長に昇格した。流通改革を仕上げ、今度は自社の営業改革に着手する。長い間、担当者は特約店を回るだけの「流通営業」だったが、水道工事店などとも接触して市場のニーズをつかむ「接点営業」に変える。どの商品がいくつ必要かを聞いて回る「御用聞き営業」ではなく、お客の課題に最善の解を示す「ソリューション営業」を進める。個々人の力に頼る「属人営業」にとどまらず、「組織営業」を展開する。販売改革に掲げた三本柱だ。
苦労したのは、社内の守旧勢力だ。改革案は黙って聞いても、会議で社長がひと言でも疑問を口にすると、後ろから一斉に機関銃を撃ってきた。ここでも、自分たちがやってきたことの否定に、抵抗した。ただ、役員の何人かが裏で支えてくれ、志を同じくする同僚も引き下がらない。その二つの存在があったから、貫徹できた。
もう一点、子どものころからの数学的思考法が、武器となる。何かを議論して決める際、論理が立たず、数字の裏付けがない進め方は、受け入れない。それが正しいかどうかは別にして、論理的で定量化されていないと動けない性質で、流通改革でも販売改革でも、常に論理をつくって定量的に説いた。相手は反論しづらく、不愉快だったようだ。そういう意味では「かわいくないヤツだったが、論理は最後まで曲げない。
「枉己者未有能直人者」(己を枉ぐる者にして、未だ能く人を直くする者は有らず)――自分が持つ論理を曲げて相手に合わせてしまう人に、立派な指導者はいないとの意味で、中国の古典『孟子』にある言葉だ。いかに栄達の早道が消えるとしても、経営陣や上司に迎合せず、流通と販売の二つの改革で正しいと思う論理を貫いた張本流は、この戒めと重なる。