先生同士が政治を生々しく議論する

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任講師
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。
若新ワールド
http://wakashin.com/

もちろん、この「違い」を1人の先生だけから聞いていたのでは、情報や思想が極端になって、自分なりの選択や判断はできなくなってしまいます。

そこで僕がおすすめしたいのは、自分の学校の身近な先生による政治討論会を開催することです。それは、先生たちが機械的に立場を変えて議論するのではなく、リアルに自分が支持している政党やポリシーをちゃんと表明して、先生の年齢や性別に関係なく、自分のスタンスを明確にして生々しく討論する様子を生徒に見せるということです。

普段仲良さそうな先生が、支持政党をめぐってはさっぱり意見が違っていたり、校長先生や教頭先生、新米の先生などが立場を超えてポリシーをぶつけ合ったりする様子には、まさに政治の生々しさと面白さが詰まっていると思います。

なかには、「私は実はあんまり政治に興味がないし、期待もしていない」というような先生がいてもいい。それもまた、政治のリアリティです。

選挙に行って投票するということは、親友とまったく違う意見を持つということにもなるし、学校の教育プログラムにはなかった「好き・嫌い」に近いものを含めて国家のシステムを通じて「選択をする」という、綺麗事ではすまされない現実社会に足を踏み入れるということなのです。

実際には、今の日本の学校や先生がそのような生々しい議論を取り入れるということは、ほとんど不可能かもしれません。それならば、僕は「白票の投票」を1つの選択肢にするのがいいのではないかと思っています。白票も投票率には反映され、これまでは「支持者なし」の意思表示として用いられることが多かったようです。しかし、18歳選挙権のスタートにおいては、「支持者なし」ではなく、リアリティが足りず「まだよく分からない」という新しい意思表明になればいいのではないかと思います。

表面的な情報や「ちゃんと投票すべき」という綺麗事だけで、重要な権利をなんとなく行使してしまうくらいなら、「分からない」という立場をしっかりととる、ということのほうがよっぽど成熟した態度だと思うのです。

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