学校はリアリティを教えない
7月10日の参議院議員選挙で18歳選挙権が初めて適用されるということで、話題になっています。「18歳以上」には高校生も含まれ、もちろん政治になどちっとも興味のなかったという若者にも一律に選挙権は与えられるわけで、そこからいかにして政治への関心や投票への意欲を高めていくか、ということが課題だと言われたりしています。
僕は、18歳の高校生にも、自分なりに考えて選択するポテンシャルは十分すぎるほどあると思っています。ただ、今のままでは、そのための材料が不足しすぎているように感じています。
そもそも、日本のほとんどの高校では、学校や先生が具体的な政党や政治家の名前を挙げて政治情勢についてケーススタディすることが、タブーとされているようです。先生個人の政治的思想などを生徒に押しつけることになりかねないという理由だそうです。
そんな学校が教えることができるのは、議員の任期が何年かとか、衆議院と参議院の違いなど議会の制度や仕組み、つまり「システム」のことだけなのです。そこには、政治のリアリティはかけらも存在していません。
政治には、学校の教科のお勉強とは違って、客観的な1つの正解というものがありません。システムを完璧に学んだからといって、投票所で誰に投票すべきなのかが公式から導きだされるわけではないのです。
18歳選挙権のもっとも大きなテーマは、それまでは「1つの答え」が存在する世界で勉強をしてきた若者たちが、複雑な現実社会の生々しさ・泥くささの中で初めて「自分なりの選択」を迫られるということだと思います。
大人の用意した答えを探し当てるのではなく、自分なりの選択や判断をする。しかし、そのためには「興味」を持つことが必要不可欠です。興味というのは、大人が外からいろいろ言って与えられるようなものではありません。できるだけ新鮮で生々しい素材に本人が触れて、「気持ちをそそられる」ことが必要です。表面が加工された情報やパッケージ化されたものは、仮に分かりやすかったとしても、気持ちが動かされません。
さて、新たに選挙権を与えられた高校生や10代の若者たちに、果たして、誰が、どこで、どのようにすればその「生々しい素材」を提供することができるんでしょうか? 少なくとも現時点では、学校教育の現場にはその役割を果たすことが難しいようです。