医療従事者には「言葉」が足りない
補完代替医療がなかなか現代医療の選択肢として広がらない理由として、現代医療側の問題もありますが、補完代替医療内部の問題もあると思います。相手の非をあげることよりも、双方が自分の立場の中でできることをする必要があると思います。様々な補完代替医療の世界を見ましたが、そこで感じた問題点は自分のやっている治療法こそが正しく、他は絶対に認めない、という治療者側の態度です。もちろん、これは療法や技術そのものの問題ではなく、その技術を使う人間の側の問題になります。すべての技術は使い方次第です。1970年代初めに、ニューヨーク大学看護学部教授・看護師のドロレス・クリーガー博士が理論化・体系化したセラピューティックタッチというハンドヒーリング療法がありました。以前、この療法をベースにして日本の医療現場に取り入れようという動きがあったのですが、様々な手技療法家の方が一堂に会したとき、それぞれの代表の人たちが他の療術家の主張や手法を認めず、内部分裂が原因となりうまくいかなかった、という話を聞いたことがあります。
何が効くかは人によって違います。患者が多様な医療を利用するためには、さまざまな治療法を実践している専門家、コミュニティ同士がお互いを否定し、排除し合うのではなく、自己主張や自己正当化だけをするのではなく、まず協力し合い尊重しあう場をつくらなくてはいけない。その土壌づくりとして、私は未来医療研究会というものを立ち上げました。これは組織や団体ではありません。自分個人の表現、表明だと受け取ってほしいのです。誰かが一番であるとか、誰かが権威づけやおすみつきを与えるという場ではなく、まずお互いのやり方を学び合い、認め合い、尊敬しあう場をつくる。そのなかでバランス感覚をもってやっていける人を集め、育てていこうと思っています。これは実際に動きながら作っているようなものです。これまでそのことを明確に意識した場がなかった、もしくは継続しなかったから、横のつながりが生まれなかったのではないかと思いました。横のつながりがなかったために、西洋医療でも、補完代替医療でも、中にいる人たちの視野がどんどん狭くなっていき、それぞれが自分の狭い世界の中で必要以上に背負い過ぎているように思います。縦のピラミッド構造ではない、新しい時代に対応した別の形での集い方が必要だと感じているのです。
医療保険の対象となるような標準医療と、それ以外の伝統医療や補完代替医療の双方の従事者が相互理解するには、お互いに言葉をもっと磨かなくてはならない。言葉や表現に関しては芸術や文学などから学べます。共通の言葉があれば、他のジャンルでやっている方法論も本質を理解し説明できるようになるので、自分のやっていることに過度に固執せず、環境や相手に応じてよりよい方法を提案できます。ほかの方法を知らないからこそ自分のやり方だけで抱えて考えてしまう、という面もあると思うのです。よく医師は説明が足りないとか、コミュニケーションが下手だとか言われますが、補完代替医療の治療者にしても「わからない人にはわかってもらわなくて結構」といった断定的なものの言い方、「信じるか信じないか」といった二元論的な思考の人は少なくありません。私は、医療は「あれか・これか」ではなく「あれも・これも」でいいと思うのです。わたしたち医療者こそが、言葉の力や可能性を信じ、同時に言葉の世界を謙虚に学び続ける必要があると思います。