日本では芸能や芸術が医療とつながっている

私は『がんが自然に治る生き方』を読んで、日本でも、いや日本でこそこういう仕事をしなくてはいけないと思いました。少し長くなりますが、今回はその理由について述べたいと思います。日本の医療の歴史を調べていくと、色々なことに気が付きます。

稲葉俊郎・東京大学医学部付属病院循環器内科助教

ひとつは、民俗学と医療の関わりです。西洋医学では病を定義し、健康と病気を切り分けて、病を「戦うべき対象」としてきましたが、日本を含む東洋哲学の核には、健康か病かという二元論より、自分の心や身体が調和している状態かどうかということに重きを置く考え方があります。そのために民間医療、祭りや芸能、加持祈祷など社会や文化に関わる色々な手段を「暮らし」の中で必要に応じて取り入れてきたのだと思います。人間の生きる営みの基本は日々の生活や暮らしの中にあり、自然と一体化していた暮らしは民俗学の中から発見できると思います。

そして、もう1つは、こうした生活や自然と一体となって実地されてきた医療は体系化されたものではなかったので、インドの伝統医学であるところのアーユルヴェーダが中国を経て仏教伝来とともに日本に入ってくるまで、日本の医療の歴史に「空白」があるということです。その後、蘭学やドイツ医学、アメリカ医学が入ってくるわけですが、そうすると日本の医療はすべて外からやってきた輸入品であり、オリジナルで土着的なものがない、という話になってしまいます。私はそういう考え方に違和感を覚えました。

自分なりにそのことをずっと考え続けてきて行き着いたのは、日本の文化においては、心や身体を調和させるために、茶道、華道、武道、書道、といった「道」を追求してきたという視点です。医療の枠内だけで考えていたから、よく分からなかったのだと思いました。医療は病気に対する知恵でもありますが、根本的には人間の体や心の知恵でもあると思います。私の仮説は、芸術・芸能に代表される「道」が心や体に意識をむける重要なきっかけになっているということです。そうしたあらゆる「道」においては「型」があり、姿勢や呼吸法などが非常に重視されます。身体を整えることが心を整えることであり、心を整えることが身体を整えることにつながる、そういう感覚を日本人は美を追求する「道」の世界でおのずから身につけていったのではないでしょうか。

いわばそれは生きた知恵であり、すみからすみまで「体系化」されている必要はなく、臨機応変に取り出して実践するものです。たとえば平家物語や源氏物語にしても、誰もが全体を通読して体系的に理解しているものではありません。日本の文学や物語は芸能や芸術と一体となったものです。声や舞や笛や鼓といった楽器を通じてその世界を表現することで体験的に理解する。頭で知的に理解するものではなく、体全体を総動員して体験するものです。西洋であれば「○○全集」ではないと気がすまないところを、日本人はその「一節」だけを芸術の体験として味わい、自分の血肉にしていく、という感性があるのだと思います。