恐れるべきはソマリゼーション

世界的な人口増は、経済をより力強くし、技術の進歩が世界をよりよくしていくだろう。そういった見通しを持ったうえで、それでもなぜ私が世界に暗雲が立ち込めていると考えるか。それは、民主主義と市場経済の立脚点が異なるものだからだ。

世界はこれまでにないほど、市場経済を志向している。市場経済が浸透すると何が起こるか。日本においてもそうだったように、中産階級が出現する。そして中産階級は、市場経済から生まれた資産を守ろうとする。民主主義はそのためにも必要とされるのだ。

だから市場経済が台頭してきた国は民主主義も発展する。市場経済と民主主義は互いに強化しあっているのだ。最近、何かと世間を騒がせている中国でさえ、時間はかかるだろうが、長期的には民主主義の国になるだろう。

ただし、民主主義は各国内の事情に根ざしたローカルなものだ。一方で市場経済はグローバル化し、国境内には留まらない。この乖離は今に至るまで放置されてしまった。つまり、グローバルな経済の流れを制御するルール、あるいはグローバルな民主主義がないままに、経済はグローバル化した。それが生むのは無秩序や混乱であり、不平等の拡大、闇経済の発達、犯罪や不法行為の活発化だ。

世界中で唯一、無政府ながらも市場経済の成立している国がある。それはソマリアだ。私たちが真に恐れるべきは、グローバリゼーションではなく、ソマリゼーションなのだ。

20世紀の悪夢は、89年の冷戦終結によって、ようやく終わりを告げた。国家の枠を超えた組織的なグローバル・ガバナンスを模索するのではなく、保護主義を選択してしまえば、世界は同じレールをたどることだろう。しかし、当時と比べて、人類は多くの技術革新を経験してきた。これまで以上に善行を行えるだけの素地があるのだ。

われわれは今後、前向きな社会を構築しなければいけない。前向きな社会というのは、次の世代に対して責任を持つ社会だ。自分の利益ではなく、自分の子どもの利益を考えるべきだ。そして自分が老いたとき、面倒を見てくれるのは自分の子どもだけではなく、ほかの人の子どもでもある。

だからこそ、これからの世界に必要なのは、利他主義というイデオロギーだ。他人の幸せが自分の幸せと関係があるということに気づき、合理的な利他主義を選択したとき、世界はよりよい方向へ進むことができるのだ。