塾は学校教育を陰で支えるパートナー

ではここで、ちょっと想像してみてほしい。もし今日本で、塾による受験指導を一斉に禁止したら何が起こるだろうか。

きっと、学校に受験指導を期待する動きが強まるだろう。学校が、現在の塾の役割までをも抱え込まなければいけなくなる。一部の保護者が「音楽や体育をやる時間があったら、英語や数学の授業を増やしてください」と詰め寄る光景が目に浮かぶ。「理科の実験などしていないで、化学式の計算をやらせてください」という生徒も増えるだろう。学校が学校でなくなる。学校が受験競争に完全に飲み込まれてしまう。

逆に言えば、現在は、塾があるからこそ、学校は学校でいられる。目先の大学合格だけでなく、生徒一人ひとりの人生の20年後、30年後までをも見据えた本質的な教育に力を注ぐことができる。だから学校の多様性も担保される。その意味で、塾は学校教育を陰で支えるパートナーなのだ。

学校と塾は、陽と陰。あるいはDNAの二重らせんに例えてもいい。

公教育が「与えられた教育」であるとするならば、民間教育は「自ら求める教育」といえる。その2つがあることで、日本の教育は常にバランスを保ち、かつ、柔軟に進化し続けることができた。これは世界でもまれに見るハイブリッドな教育システムなのである。

しかしである。その多様であるはずの塾が、こと学力トップ層においては、多様性に欠く状態になりつつあるというのが拙著『ルポ塾歴社会』(幻冬舎)の指摘である。

「塾歴社会」とは、端的に言えば、日本の教育の平等性や公正さの中で発展してきた受験システムが、「制度疲労」を迎えている証しであると私は思う。