贅沢品が「絶対必要なもの」になるカラクリ
駅などにあるエスカレーター、私はなるべく使わないようにしています。なぜなら「必要」と思わないからです。足と階段を使えば、階段の上り下りは達成できます。
でも、疲れて階段を上るのがツラいと感じる場面ではどうでしょうか。重い荷物を持っている、なんてこともあります。実際、出張などでスーツケースをころがしながらの移動や、数時間の講演の後などは足がとても疲れているので、エスカレーターを使うこともしばしばです。
がんばれば階段で上れるかもしれませんが、エスカレーターを使ってしまいます。それは、「便利」だからです。
では、まったく足が疲れていなくて、重い荷物も持っていない場面でエスカレーターを使ったら? それは、単に「楽(らく)」をしたいからに他なりません。
仮に、足腰を痛めている人がエスカレーターを使うとしたら、それは「必要」だからでしょう。「急いでいるから」というのであれば、それは「便利」だからですよね。また、「ただ何となく」であるなら、それは「楽(らく)」だからかもしれません。
同じ「エスカレーターを使う」場面であっても、どういった「理由」で使うかによって、「必要」か「便利」か「楽」なのかが異なってきます。
家計でいうならば、同じ「費目」であっても、それが正しい買い物なのか、ムダづかいなのか判断できないのと同じです。「何(費目)」ではなく、「なぜ(理由)」買ったのかのほうが重要なのです。
以前、こちらのコラムで「贅沢」に基準はない、という主旨の文を書きました。「必要(need)」も同じではないかと思うのです。「必要」の明確な基準はありません。人によって「必要」の基準はまちまちです。
実は、そこに「便利」や「楽」が潜んでいるにもかかわらず「必要」とくくってしまうと、たちまち大義名分ができて、「必要だから削れない」となりかねません。
一度、自身のお金の使い方が「必要」「便利」「楽」のどこに該当するのか考えてみてはいかがでしょうか。
冒頭で「want」にキリがないと申しましたが、「便利」や「楽」も同様でしょう。「あれば便利」「これがあったらもっと楽」にもキリがありません。どこかで「なくても平気」という線引きが必要ではないでしょうか。
「贅沢」「want」「need」――。ちょっと贅沢したい、これが欲しい、必要だ、となれば、どれも正当な買い物のようでもあるし、見方によってはムダづかいでもあります。
結局、「need(必要)とwant(欲しい)を区別して……」というのは言葉遊びなのかもしれません。
言葉で理屈をどう説明しようが、自分のお金ですから、最終的に自身の価値観で使うのは悪いことではありません。ただし、人間は弱い生き物で、歯止めが利かなくなることがあることを知っておくべきでしょう。
「なぜ」買ったのか問われたときに、自信をもって「(自分の人生に)必要だ」「買ってよかった」と言えるかどうか。それが、“正しい買い物”か否かの境界となるのではないでしょうか。