30で会社を辞め、世界を放浪
【田原】当時、楽天は弱かったですよね。1年目はぶっちぎりのビリだった。チームが弱いのにどうやってお客さんを楽しませたんですか。
【南】最初は勝てないことがわかっていたので、試合の結果に依存しないようなエンターテインメントにする必要がありました。具体的には、7回裏の攻撃前に全員で風船を飛ばして臨場感を味わってもらったり、愛嬌のある悪役のマスコットをつくって、彼に観客を楽しませてもらったり。スタジアム全体を1つのエンターテインメントにするというのが、僕たちの1年目の狙いでした。
【田原】結局、楽天イーグルスには何年いらしたんですか。
【南】3年です。2007年までいました。
【田原】せっかく念願のスポーツビジネスにつけたのに、どうしてお辞めになったのですか。
【南】あるときインテリジェンス創業者でもあり、当時の球団社長の島田(亨)さんから呼び出されて、こうアドバイスされました。「三木谷さんはどこかのタイミングでおまえを球団社長にすることも考えていると思う。ただ、おまえはまだ30歳。一度外に出て、三木谷さんや僕が教えてきたものを試してみたほうが成長するんじゃないか」と。
【田原】そうですか。でも普通なら、「おまえは、球団のために頑張れ」と言いますよね。島田さんはどうして逆のことを言ったのか。
【南】球団ビジネスは社会的なインパクトが大きいのですが、売り上げは80億円ぐらいの事業です。島田さんは、僕にもっと大きいビジネスをさせたかったのでしょう。具体的には「おまえがいま見えている世界がここだとしたら、俺たちは2つぐらい上のレイヤーでビジネスをやってる。ここまで登ってこい」と言われました。