【田原】楽天球団を3年で辞めて、次は何をしましたか。
【南】1年間ふらふらしていました。MBAにいく選択肢もあったのですが、いまの世界や自分が置かれている立場をじっくり見極めたいと思って、とりあえず1年間、世界中を旅行していました。
【田原】それからどのような経緯で起業することになったのですか。
【南】もともと起業するつもりはなく、どこかに転職して新しい事業を創造できたらいいなと考えていました。こういうときはヘッドハンターに相談するといいと聞いて、1カ月に27人のヘッドハンターに会いました。でも、相談するうちにある疑問が浮かんだんです。みなさん親身になってアドバイスをくださるのですが、それぞれ紹介してくれる求人案件が違う。ということは、僕が本来持っている選択肢と可能性をぜんぶ見るまで、あと何人に会えばいいのかと。
【田原】つまり、もし100人会えば100通りの求人案件があって、際限がないと。
【南】もっと選択肢があるかもしれないのに、限られた中で選ぶことに抵抗を感じたのです。27人のヘッドハンターと会うのにすでに40時間くらい使っていました。便利な世の中になったはずなのに、これじゃ不便で、なかなか会う人も増やせない。これは何とかしないと世の中のためにならないと思いました。
【田原】それが起業のヒントになったわけですね。
【南】はい。採用したい企業と求職者がうまくマッチングしないのは、お互いをよく知らないブラックボックス状態になっているから。そこを解消すれば、新しい事業として成立するんじゃないかと考えました。
田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。若手起業家との対談を収録した『起業のリアル』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。若手起業家との対談を収録した『起業のリアル』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。
(村上 敬=構成 宇佐美雅浩=撮影)