私は歌舞伎が好きでよく観にいきますが、文楽や歌舞伎の物語には、近代法の観点からいえば不合理なことがたくさん出てきます。例えば、12月によく演じられる「仮名手本忠臣蔵」も、現代の感覚でいえば“逆恨みによる集団テロ”です。それでも感動の涙を流しながら観てしまうのは、日本人の文化や心情にマッチしているからです。
中世のヨーロッパにも連座に近い刑罰はありましたが、市民革命が起きたあとは、個人や人権の意識が強くなり、罪はあくまで本人が負うもの、家族に連帯責任はないと考えられるようになりました。
市民革命が起きていない日本では、西洋に見られるような「人権を獲得した」という意識は薄く、心情的には封建時代を引きずっているところがあります。法律上は罪にならなくても、“道義的に許されないこと”がたくさんあります。これは感情論であり、文化的な面が多分にあるので、一朝一夕になくなりません。
「振り込め詐欺」にもその心情は見られます。これだけ注意を呼びかけてもいまだに被害が後を絶たないのは、「わが子の不祥事は表沙汰にしたくない、できれば内々に済ませたい」という日本の親らしい心情を巧みに利用しているからです。だから、頭の片隅では「詐欺かもしれない」と疑いながらも、「万が一、本当だったら大変だ」と思って騙されてしまうのです。
日本の親にはそういう心情があるから、著名人の子が罪を犯せば、マスメディアは当然のように親の謝罪を求めます。そこでお詫びしなかったり、態度が悪かったりすると、たちまちバッシングの嵐です。逆に、潔く真摯な態度で謝罪すれば、「親として立派だ」と評価を高めることさえあります。法的に責任はないとしても、わが子が罪を犯せば、世間様に謝罪するのが親の務め、という意識は根強く残っているのです。
1945年、神奈川県生まれ。検事を経て79年より弁護士に。得意分野は少年法、家事事件、犯罪被害者保護法など。第一東京弁護士会犯罪被害者に関する委員会委員長、同・文化研究会委員長などでも活躍。