ミュージカルを観た娘は「綺麗事」と。それでも残ります

また、ある年齢になったら、お金を使うことによって得られる上級の愉しみを、若い人たちにも教えてあげたいですね。私には15歳になる娘がいますが、歌舞伎やミュージカルなどにどんどん連れていっています。でも、娘がそれをすぐにおもしろいと思うわけではないんですね。『レ・ミゼラブル』を観た後で、彼女はこう言いました。

「なに、この、綺麗事!」

それでいいんです。まだ、わからなくてもいい。けれど、本物を観せてあげれば、それは必ず残る。そんなふうに思ってきれいにお金を使うことについては、他人様にとやかく言われたくない。むしろ、いまの大人たちは、子供や若い人たちに本物を教えるためにお金を使うということをしなさすぎるとも思います。

人付き合いにもお金がかかりますね。私くらいの年齢になれば仕事で付き合う編集者たちもみんな年下です。彼ら彼女らに気持ちよく仕事をしてもらうにはどうしたらいいか。私は日々、そのことを考えています。

たとえば食事に誘う。この人とお寿司に行くなら、そうだ彼女を引き合わせてみよう。そんなことをすぐに考える。人と人を結びつけることが大好きですから、初めて会う機会をセットすることも多いのです。

そして、自分でお金を払う。京都に行こうという話になれば、事前にお茶屋さんを予約して、若い人たちに芸妓さんをちゃんと見せてあげる。昔は、ちょっと京都に遊びにいって、着物をつくったりもしましたね。

主人に言われたことがあります。

「なんでいつも君が払うの?」

それくらい、私が払うことが多いのですが、では、気を使い、お金を使ってどんな見返りがあるか。

すぐに何かがあるわけではないんです。でも、たとえば新刊が出たときのプロモーションとか、イベントのお手伝いとか、手が必要なときに率先して駆けつけてくれたりします。ありがたいことです。

お金を使って本物の愉しみを教えてあげ、それを通じて人との付き合いを深めていくことは、いまの大人たちの務めでもあると思います。

いまのお父さんたちの世代が、子供たちに言ってきたのは、好きなことをしたらいいということだけですね。自由にしたらいい。無理をしなくても喰うに困る世の中ではないと言ってきた。

でもその結果として、大事な子供たちをフリーターにしてしまった。

子供たちは、廉価で、どこにでもある服と、外食チェーンの安い食事で充分だと思っている。これで間に合っていると思っている。加えて、親も先輩たちもそれ以上のことを教えないから、彼らはそれしか知らないのです。

けれど、彼らはこのままで幸せに生きていけるのでしょうか。

自分がやがて老いるということに対する彼らの想像力は弱すぎます。自分が家庭を持ったとき、豊かで上質な生活を家族にさせるためにどれくらいの金銭を必要とするか、そこに思いが至っていない。

50代になって肌がたるみ、お腹が出てきたときに、若い人向けにつくられている廉価な服を同じように着ていては、みすぼらしすぎる。年相応に素材のいいものを着ないと格好がつかないのですが、そういうことを想像できなくなってしまっています。

無駄遣いを推奨するわけではありません。でも、お金のかかるもののほうがやはり上等であり、その先の愉しみを提供してくれる、ということを、知らないままでいるよりは知ったほうがいいと思うのです。