チームの一人が「女性の『お疲れ様』のひと言のようなものがほしいね」とつぶやいた。聞いて、はっとする。客層は男性が多いから、男性タレントを使うことを当然視していた。違う。では、若い層には、どの女性に訴える力があるのか。若手が「飯島直子は、自分たちの世代に人気がある」と言った。知らない名前だ。でも、言い出した人間が太鼓判を押す。大ヒットする「男のやすらぎキャンペーン」のCM案が、決まった。
このとき、コンセプトは確認したが、具体案は口にしていない。どんな若手も、いいアイデアを出す可能性を持つ。ライオン歯磨(現ライオン)の時代から、ある分野で商品の開発から販売、収益まですべての責任を持つプロダクトマネジャーを経験してきて、成功への要諦は「関係する全員を巻き込む」「部下たちの潜在力を引き出す」ことにある、と確信していた。
ボトラー社への発表会は予定通りの日に開き、3種類つくったCMを流す。どよめきが起き、チームは握手攻めに遭う。満40歳と3カ月、マーケティング担当冥利に尽きる瞬間だった。「ジョージア」のシェアは3年後に53%と、10ポイントも回復する。
「議事者、身在事外、宜悉利害之情」(事を議する者は、身は事の外に在りて、宜しく利害の情を悉べし)――何かを議論し、道を選ぶ際、自らはその事の外に立ち、客観的に利害得失を考え抜くべきだ、との意味で、中国・明の洪自誠の書『菜根譚』にある言葉だ。最終決定権を持つ自分が議論を先導しては、部下たちから斬新な案が出てこなくなるので、議論の外にいて自由に意見を言わせ、そこから最善の解をみつける魚谷流は、この教えとまさに重なる。
1954年6月、奈良県・五條で生まれる。一人っ子だ。小学校から大学まで、いつも影響を受けた先生がいた。73年4月に同志社大学の英文学科へ進み、出会った助教授には、米国留学の夢をもらう。本人も留学していて、白いジーンズに長髪姿。米国の若者の雰囲気を、ぷんぷんさせていた。
当然、就職先は、社内留学制度があるところを探す。77年4月に入社したライオン歯磨は、毎年2人を米国留学に出していた。最初の配属先は大阪の営業所。4年いて、営業現場を回り続ける。ライトバンで薬局やスーパーへいき、倉庫から段ボール箱に入った自社製品を運び出し、一つずつに値札を付け、売り場に積んでいく。床に座り込み、ときには這いつくばる作業だ。留学とは縁遠かったが、前向きな気持ちで取り組めば、店が注文を増やしてくれた。かけがえのない経験で、以後の原点となる。