選抜決死隊「白襷隊」が突撃したのだが、敵味方の区別をつけるための白襷がサーチライトに照らされ、かえって目立ち、狙い撃ちされる始末だった。
ここにいたり、乃木は攻撃目標を203高地に変更する。いったんは占領したものの、すぐに奪い返されてしまう。
この第3回旅順総攻撃で、乃木は次男をも失った。
児玉は激怒した。
このまま第三軍が全滅するようなことになれば、連合艦隊の敗北はおろか、南下してくるロシア軍と対戦しているほかの陸軍は挟撃され、敗走すらできなくなる。日露戦争のすべては第三軍の203高地攻略にかかっていた。
「自分が行くしかない」と決めた児玉は、総司令官大山に委任状を書いてもらい、現地に向かった。記者団に「陣中見舞いだよ」とごまかしたのは乃木のメンツを思ってのことだった。
203高地を見渡せる高崎山で、児玉は乃木に指揮権委譲を持ちかけた。
児玉は、203高地を占領するため重砲陣地を高崎山に移動させ、203高地占領後は28センチ榴弾砲を15分ごとに一昼夜連続して撃ちつづけることを命じた。作戦に反対する参謀に、児玉は一喝した。
「陛下の赤子をいたずらに死なせてきたのはだれであるか。掩護射撃をすれば味方を撃つこともあるかもしれん。しかし従来の作戦を続けるより、兵の損失ははるかに軽微だ」
そして12月5日午前9時15分、203高地への突撃がはじまり、午後1時には203高地に日章旗がはためいた。乃木が半年かけても落とせなかったものを、わずか4時間足らずで陥落させたのだ。
203高地で多くの将兵を死に追いやった乃木の責任は大きい。「昔取った杵柄」を過信してはならない、「過去の栄光」をひきずってはならない典型といえるだろう。
だが、われわれが忘れてはならないことがある。
それは「結果」だ。
203高地占領が、日本海海戦での海軍の勝利を導いたという「結果」なのだ。