NHK大河ドラマ「真田丸」は、戦国時代最後の名将と呼ばれる真田幸村が主人公である。

江坂 彰(えさか・あきら)
1936年、京都府生まれ。京都大学文学部卒業。東急エージェンシー関西支社長などを経て、84年に独立し『冬の火花──ある管理職の左遷録』で作家としてデビュー。著書に『心軽やかに老いを生きる』ほか、共著に『撤退戦の研究』『信長 秀吉 家康──勝者の条件 敗者の条件』など。

「関ケ原の合戦から15年、大坂夏の陣で、不利を承知のうえで華々しく戦い、豊臣家に殉じました。日本人特有の判官びいきはあるにしても、わずか3000の兵で1万3000の徳川勢を翻弄しています。その軍事的才能に魅力を感じる人も多いのではないでしょうか」

作家で経営評論家の江坂彰さんは、人気の背景をこう説明する。加えて、幸村の生きた戦国乱世と現代が、いずれも激動期であることを指摘。何が起きても不思議はなく、会社経営なら、今日は花形でも、明日は斜陽産業かもしれない。まさに秀吉亡き後の豊臣家の姿であり、そんな逆境の幸村の行動にビジネスマンは学ぶべきだという。

「最も重要なのは“選択と集中”です。大坂の陣における幸村の戦術はまさにそうでした。圧倒的な劣勢だが、家康さえ倒せば戦局はどうなるかわからないと見抜き、そこに全力を集中する。その非凡さは、身の安全を図り、次々に陣を移す家康に対して、優れた情報網を構築することで、徳川軍にとってさえ最高機密である大御所の現在地を正確に把握していたという緻密な作戦に見て取れます」

そんな幸村だが、大坂城に入城するまでは、知将の誉れ高い父・昌幸の陰にあって、さしたる武功は立てていなかった。しかも、関ケ原の合戦では父とともに石田三成にくみし、信州の上田城に徳川別働隊を釘づけにしたものの、石田方西軍は敗北。高野山麓の九度山に流罪の身となってしまう。

「10年後には昌幸が病没。40代半ばになった幸村も急に年を取り、歯も抜け、髪も髭も白くなっていく。だが、彼が立派だったのは、そんな不遇なときにも、いつか檜舞台でリーダーとして活躍するという“志”を持ち続けたことです。と同時に、父から伝授された兵法を研鑚し、来るべきときに備えて心胆を練っていたことでしょう」

そこに訪れたのが、豊臣秀頼からの使者だった。幸村は与えられた千載一遇の出番に奮い立ったはずだ。幽閉先で朽ち果てようとしていた人生ぎりぎりの段階で能力発揮の機会を与えてくれた恩義に報い、最後の決戦に完全燃焼したのである。

(尾関裕士=撮影)
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