アフリカの原野から10万年ほど前に飛び出した人類は、約5万年前にヒマラヤ山脈を挟んで南北に分かれて拡散した。そして新天地の日本列島にやってきたのだが、本書は日本人のルーツを探る見事な科学ドキュメンタリーだ。

著者は人類学者で、人骨化石などを通じて東アジアの人類研究で世界的な業績を挙げてきた。特に欧米偏重の定説に疑問を持ち、グローバルな視点と実証によって新たな人類史を編む達人だ。

その研究手法は極めて緻密である。遺跡や化石、さらに昨今飛躍的に進んだDNA解析を駆使して議論を展開する。科学者が信頼のおける事実に基づいて新しい成果を出すのは、まず最初にあるべき姿である。その部分は本書でも雄弁に語られ、説得力を伴った実証に成功している。

そして国際的にも高く評価された研究成果を、一般向けのわかりやすい読み物としたのが本書なのだ。先端科学のアウトリーチ(啓発・教育活動)本としても第一級の面白さを備えていると思う。

もう一つ興味深いエピソードがある。著者は現生人類のアジア移住史を明らかにするため、3万年前と同じ条件で人は琉球の海を渡ることが可能か、という実験を考案した。そのために研究者を集めたが、資金の工面で困った。

このご時世、学術のために金を工面するのは容易ではない。そこで思いついたのは、テレビや出版メディアを使って大々的な宣伝を行い、ネットのクラウドファンディングで資金を調達するという奇策だ。その柔軟な発想と行動力には、「科学の伝道師」を標榜する私も完全に脱帽した。ビッグサイエンスを推進するには、こうした「経営」能力も必須なのである。

この航海再現プロジェクトは今春から2年間にわたって実施される。初年度に与那国島から西表島まで、次年度には台湾から与那国島までの航海を行うという壮大な実験だ。その様子は逐一、ネットなどを通して発信・公開される予定である。「研究に探検を加え、かつそれを一般の方々と共有するという、科博(国立科学博物館)が提案する新しいタイプのプロジェクトなのである。(中略)近い将来、さらに面白いことがわかってくるだろう」。

ちなみに、日本人は移動する過程で、大地のすべてを焼き尽くす巨大噴火を何回も経験してきた。7300年前には高温の火砕流が南九州の縄文人を滅ぼしたのだが、こうした巨大自然災害が日本民族にどう影響を及ぼしてきたのかもぜひ知りたいものだ。

普段は地味な研究をしている科学の専門家が、ちょっとした発想の転換で周囲を巻きこんで大きなプロジェクトを立ち上げる。こうした際に必要なコツも、本書は教えてくれる。多くのビジネスパーソンの参考にしてほしい。

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