同じ占領下に制定されながら、日本国憲法ではこの“中央集権を叩き壊す”部分がノータッチで、むしろ象徴天皇を第1条に置くフレームワークは「以下に述べる憲法は御意の限りにおいて成り立つ」を冒頭に謳った明治憲法を踏襲する形となっている。
苛酷な参勤交代を強いた江戸時代から350年にわたって連綿と続いてきた「日本の中央集権体制の強固さ」を、恐らく占領軍は認識していなかったのではないかと思う。また内務官僚を中心とした役人天下も全く知らなかったと思われる。結果、天皇制と官僚制度という中央集権システムの「コアの部分」は生き残り、日本に連邦制が導入されることはなかった。それが“地方自治の不毛”という今日的な不幸につながっている。
誤解がないようにいうと、復興と高度成長では、日本の中央集権体制は効率よく機能した。しかし、経済が成熟し、グローバル化の時代を迎えた今は、それが足枷になって改革を阻んでいる。中央集権体制の担い手である中央官僚や政治家は自分たちの利権を守ることに腐心して、「開かれた経済」にしようとしない。TPP交渉を見ていても、全く本気度が感じられないし、アベノミクスの成長戦略にしても、中央から地方への“お目こぼし”程度の特区構想しか出てこない。依然として中央が権限をガッチリ握り、47にも細分化された地方は自由闊達に動けないのが日本の現状なのだ。
何があっても自分たちだけは生き残る
ドイツの州は日本の都道府県のような“権限のない”地方公共団体ではなく、州議会や州憲法を有する「地方政府」であり、基本的に州にかかわることはすべて州が権限を持って行っている。
このドイツの統治スタイルには2つメリットがある。1つは州政府に強い“責任感”が出てくるということ。財政運営から雇用の創出まですべてが州の責任だから、生半可な仕事は許されない。もう1つは近隣の州との競争原理が働くために、活力が生まれている。