――厳しい仕事が多かった?
【山口】つらいことは多かったが、絶対に負けないという自負はあった。今でもそうだが、取り組むべき仕事はたくさんある。問題点に気づくことで、解決策も自然に出てくるし、それが仕事になる。成果が出れば励みになっていく。
入社する前は、京セラのことを周囲から急成長しているが仕事に厳しい社風だと言われた。創立して19年目のころで、会社の仕組みもまだまだ発展途上だった。「おかしい、もっとこうしたらいい」と思うことがいっぱいあった。問題点を上司に指摘すると、「おまえがやってみろ」とすべて任せてもらえた。当時の私は、働きがいのあるいい会社だと思った。今でもその思いは変わっていない。
新入社員のころ、私のベルトのループが1つ取れているのを見つけた稲盛に「これ取れているぞ。俺が縫ってやるから、針と糸を持ってこい」と声をかけてもらったことがある。稲盛が46歳くらいのときだ。稲盛は東京のオフィスに来ては我々新入社員に「どうだ、がんばってるか」と声をかけてくれた。そんな稲盛の背中を必死で追いかけながら、20世紀の間は無理でも21世紀には自分が会社で中心的な役割を担わなくてはいけないと、なんとなく思っていた。
社員には、製造、営業が一緒になって物事を考えようと話をする。従業員は7万人いる。責任は重い。
1956年、京都府生まれ。78年同志社大学工学部卒業、京セラ入社。2002年半導体部品国内営業部長、03年執行役員、04年半導体部品統括営業部長、09年執行役員常務、取締役を経て、13年4月より代表取締役社長。
[出身高校]私立同志社高校[長く在籍した部門]半導体部品営業[趣味]スキー、飲むこと
[座右の書]稲盛和夫『生き方』[座右の銘]謙虚にして奢らず、さらに努力を