【玄侑】私の中で『四雁川流景』の隠しテーマは「地霊」ということだったんです。僧侶とは地霊の中で生きる存在でしょうし、土地と信仰というものは重なるんだと思います。震災前まで私は自分が東北人、福島県人だとはあまり思っていなかったんですが、震災が起こって以降、その意識が強くなりました。
【山田】僧侶の方が小説を書くっていうことも、僕はとても素敵なことなんだと思いました。仏教でもキリスト教でも、宗教上の議論はどうしても観念のやり取りになりますね。だけど、小説っていうのは、観念じゃ済みません。玄侑さんは僧侶でありつつ、観念からはみ出てしまう個別性を小説の中で非常に具体的に書かれている。それはとても頼もしいことだと思いました。それにしても、小説を書きながら、住職としてのお務めも果たされるのはさぞかし大変でしょう。
【玄侑】じつは今晩もお通夜なんですよ。不思議なことに、その方は5年くらい寝たきりだったのに、亡くなる3~4日前に突然起きだして、自分でご飯を食べたというんです。それが2日ぐらい続いたので、ご家族が「治ったんだ」と思ったら、急に亡くなってしまったそうです。まるで蝋燭の炎が消える前に急に大きくなるみたいですね。
【山田】そういうことがあるんですね。
【玄侑】おそらく頭の中にストッパーみたいなものがあって、亡くなる直前にそれがはずれるんじゃないかという気がするんですが。
【山田】ああ、なるほど。
【玄侑】それで、人によっては「全能感」みたいなものが訪れるようです。できないはずのことができてしまう時間が。『空也上人』でも、介護を受けてきた老人が、最後にそうした力を発揮しますね。最初に読んだとき、あの老人はとても自然に逝った気がしたんですけど、昨日読み返したら、「あ、これって自殺だし、オランダ政府が勧めている安楽死の方法だな」と気づきました。