現代の若者は打たれ弱い。その理由はかつての日本にあった「共同体原理」の文化が崩れ、「年齢原理」の規範が社会を覆っている点にあると筆者は説く。

150年前に「子供」の概念がなかった理由

日々「明日が楽しみ」という溢れる希望を持つのが若者の特権。しかし、最近の新聞記事によると、「本気で自殺を考えた」という若者が4分の1以上もいて、しかもその割合も前の調査に比べて増えているとのこと。若きヴェルテルの悩みではないが、若者も若者なりに深い悩みはあるはずなので、それもまた若者の一つの側面と思うところもある。しかし、ちょっと深刻に考えてしまう社会の状況もある。

150年か200年ほど前まで、西洋には「子供」という概念がなかった。こういうと、不思議に思う人は多いと思う。

「子供はいつもいるよ」と。

だが、1850年代の社会においても、子供という概念はなかった。当時、大勢の幼子が炭鉱や工場で働いていた。教育を受けることなく、幼子が夜も昼もなく働かされる現実を見て、カール・マルクスは資本家の横暴に憤り、資本論を書いた。その社会では、働く能力を持った人とそうでない人の区別が重要だった。そこに誕生したのが義務教育の概念。「働く能力は持っていても働かない」という猶予期間を社会が認めた。そして、「働く能力を持ちながらも働くことを猶予された者」、つまり子供という概念が登場した。「働く力を持たない幼児」「働く力はあるが教育を受ける子供」そして「働く能力を持って働く大人」という3層で社会層が区分されることになった。

年齢によって社会を分けてそれを経営するという秩序がここに芽生えた。これ以降、社会はもっぱらこの方法を用いるようになった。年齢別社会経営がさらに進むことになる(ハワード・P・チュダコフ『年齢意識の社会学』法政大学出版局、1994年)。

日本でも、西欧の教育制度を模倣したこともあって、同じように年齢原理優勢の傾向が進展した。義務教育は小学校から中学へと延びた。6歳で小学校、12歳で中学、15歳で高校、そして18歳で社会に出るというパターンが定着した。私たちは、就学や進学に強い義務感・責任感を覚えるようになった。就学・進学に後れを取った子供は、「どうして遅れているのか」と、それだけで周囲から好奇の目を集める。

日本の社会は、かなり意識的かつ厳格に、年齢という軸で社会秩序をつくり出している。教育だけではなく、社会参加についても年齢で秩序づける。20歳を区切りにして、成年と未成年を分ける。20歳以下の未成年は、お酒もたばこも嗜むことを禁止され、投票権は与えられず、社会への参加は限定的。その一方で、さまざまなところで割引制度があり、罪を犯しても情状酌量される。社会への参入時期だけではない。定年という形で、社会からの退出時期も年齢で決められる。60歳で、余力のある人もない人もすべて第二の人生に踏み出す。さらに、それ以降の年金支給も年齢で区別される。

年齢にしたがって社会経営の骨格がつくられる。そこから、年齢に沿った形で義務・権利意識が生まれる。自分は、どこに所属しているかだけでなく、「自分は何年生まれか」も大事となり、いつもそのことが意識に置かれる。隣にいる人の年齢が気になる。そうした社会の意識をビジネスが見逃すわけはなく、年齢別細分化が、それも一歳刻みでの細分化が進展する。