内閣不信任案を出さない立憲は「弱腰」か
参院選後初めての臨時国会が閉会した。衆院に続き、参院でも自公両党が合計で過半数を割り、石破政権が両院で少数与党となるという、これまでにない政治の風景の中で行われた国会。
面白かったのは、一部のメディアが、野党第1党の立憲民主党に「内閣不信任決議案の提出」をあおり、慎重姿勢を崩さなかった野田佳彦代表に対し「衆院を解散されるのが怖いのか」などと「弱腰」批判を展開したことだ。
時代は変わったものだとつくづく思う。自民党が国会で圧倒的な多数を占め「安倍一強」を謳歌していた頃は、立憲が内閣不信任案提出の構えを見せれば即座に「政治空白を招くべきではない」「否決される不信任案の提出など意味がない」などと、提出にブレーキをかけようとする声がわんさと飛び交ったものだ。安倍政権に不信任を突きつけるのはだめだが、石破政権なら良い、ということなのだろうか。
今回はそのことは置いておこう。筆者がここで指摘したいのは、立憲にとっての「内閣不信任案提出の意味」が、少数与党の誕生で大きく変わったということだ。
「安直な意思表示」は国民に示しがつかない
7月22日公開の記事(「万年野党」から脱皮する時がきた…立憲が「悪夢の民主党政権」を繰り返さないために絶対にしてはいけないこと)でも指摘したが、石破政権が少数与党となったことで、立憲は国会内での力が相対的に増し、現実の政治を「政権与党並み」に動かす可能性が生まれた。
今後の立憲の政治行動は「近い将来政権を担う可能性がある政党としてふさわしいのか」という観点で、国民に評価されることになる。不信任案提出一つをとっても「野党の意思表示として安直に提出する」という姿勢では済まなくなったのだ。
参院選での立憲の戦績が「横ばい」でパッとしなかった、他の中小政党の議席が大きく伸びた、という点だけにいつまでもとらわれていると、全体の政治状況を見失い、本当に国益を損ねかねない。不信任案提出問題も、そういう観点から考えるべきだろう。

