「否決で当たり前」の不信任案を出す理由

自民党がまだ「一強」と呼ばれていた4年前、筆者は不信任案提出の意味について、他媒体で記事を書いたことがある。当時はコロナ禍の真っ只中。「この国難の折に、立憲は不信任案を提出して政治空白を招くのか」という批判が渦巻いていた頃だった。

不信任案が提出されても、当時は巨大与党の下で粛々と否決できたはずだし、仮に政治空白を招くとしたら、その責任は不信任案を受けて衆院解散なり内閣総辞職を決断する当時の安倍政権の側なのに、それを野党に転嫁するかのような声があふれたことにあきれて、思わず書いたものだった。

そこで指摘した「不信任案提出の意味」は、以下の2点だ。一つは「なぜ野党は時の政権を信任できないのか」を国会で明らかにして、次の総選挙における政権選択の判断材料にしてもらうこと。もう一つは、不信任の理由を語る「言葉」を議事録に残し、後世の検証に耐えるようにしておくこと。当時の記事ではこう書いている。