この2つの「幸福のかたち」のどちらがいいかなどと論じても意味はない。どちらにも歴史的な必然性があり、優劣があるわけではないのである。

確かなのは、近代化によって主流化した「達成型」という幸福のかたちは、逆に人を苦しめるものにもなりうる、危うい「負の性質」を持っていたということである。そしてその性質が、現在の経済環境下で急速に顕在化してきている、ということだ。

経済が上昇基調にあるとき、「達成型」は、確かに社会の発展のエネルギーとしての有効性を持っていた。しかし、経済が下降基調にあり、格差が増大していくような環境下に至って、状況は一変する。

こうした環境下でも、人々はなお過去からの慣性によって「到達水準」を描いてしまい、そのため、多くの人が、欲求を満たせないストレスを、不可避的に抱えることになる。「こんなはずじゃなかった」というストレスが社会を覆うようになるのである。

たとえば雇用問題にそれは典型的に表れている。正社員という、かつては当たり前だった雇用形態は、今やそう簡単なことではなくなってきている。正社員を1つの到達点と考え、それによって「幸福になる」とイメージしてきた人にとっては、幸福を感じにくい時代となっているのである。

また、当然ながら、多くの人がこうしたストレスを抱える状況下では、社会全体が負の感情へと傾斜することは避けられず、それもまた日本人が幸福を感じにくいことの、大きな原因となっている。

実際、今の日本社会は、「負の感情」にあふれた社会である。格差や現実の理不尽に対する怒り、その半面での「うまくやっている人」への嫉妬、経済危機に起因する将来への不安や悲観、さまざまな負の感情が巷にはあふれている。

欲求が満たされないことへのストレスと、どこに向けていいかわからない怒り、先々への不安などの負の感情が充満する社会。それが今の日本の姿といえるだろう。

もちろん、こうした状況を生んだのは、直接的には経済などの外部環境の変化である。しかし、人々の内面の不幸感を増大させたのは、おそらく成長神話の崩壊とともにやってきた、「達成型」の「幸福のかたち」の破綻という事態であった。

バブル崩壊以降、私たちが見つめてきたのは、「達成型」の持つそうした負の側面に苦しむ人々の姿だったのである。