人生を豊かにラクに生きるにはどんな心構えが必要か。心療内科医の鈴木裕介さんは「日本人は相手を信頼するリスクをとるよりも、相互監視を通じて裏切ったら相手が損をするという“安心”によって社会を成り立たせてきた。豊かに生きるにはそんな損得勘定を手放す必要がある」という――。

※本稿は、鈴木裕介『「心のHPがゼロになりそう」なときに読む本』(三笠書房)の一部を再編集したものです。

問題を抱えた若い女性
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必要なのは「安心」よりも「信頼」

「信頼」という言葉について、もう少し掘り下げたいと思います。

社会心理学者の山岸俊男やまぎしとしおは、その著書『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)の中で、「信頼」と「安心」という言葉の違いに触れています。

山岸先生によれば、「信頼」とは、「相手がいい人であり、自分に好意を持っている」から「裏切らないだろう」と期待をすることを指します。つまり、相手の人間性や自分との関係性をポジティブにとらえ、相手を信じて関係性を結ぶのが「信頼」に基づいた人間関係ということです。

それに対して、「自分を裏切ると、相手自身が損をするから裏切らないだろう」という期待は、「安心」に基づいた人間関係に当たります。

本稿では「安心」を「不安がなく、安らげること」という意味で使っていますが、それと区別するために、ここでは山岸先生の意味する「安心」を便宜上“安心”と表記します。

例えば、「組織を抜けたら刺客が差し向けられて暗殺される」というルールの中で、「この組織を裏切る奴はいないだろう」と考えるのは、信頼ではなく“安心”に基づいた関係づくりになります。

集団主義的な社会のもとでは、対人関係における不確実性をなくそうとするために、お互いが監視し合ったり、そのルールから外れたものを排除するような形で、お互いが“安心”できるようにしているのです。

しかし、対人関係にはそもそも“不確実性”が伴うものです。その不確実性を排除しようとするのではなく、飲み込んだうえで関係を結ぼうとするのが「信頼」だと山岸先生は言います。つまり、誰かを信頼するということは、“安心”に比べて裏切られるリスクが高い行為なのです。