2025年5月に、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト5をお送りします。ビジネス部門の第2位は――。
▼第1位 「退職代行を使う人はカス」で大炎上…モームリに業界1位を奪われた、"元祖"創業者が明かす"敗北の理由"
▼第2位 34歳で開発した「一太郎」が大ヒットしたが…Windows95に敗北した女性が58歳で再び会社を立ち上げるまで
▼第3位 「日産復活」にはこれしかない…トヨタでもホンダでもない、「6708億円の赤字解消」のカギを握る自動車メーカー
▼第4位 なぜ吉野家は「並盛498円」を値上げしなかったのか…深刻な客離れを起こした「スシローとガスト」との決定的違い
▼第5位 割安な韓国車・中国車があるのに日本車ばかりがベストセラーになる…ASEAN地域で日本車が圧倒的人気のワケ
日本語ワープロソフト「一太郎」大ヒットのその後
赤いパッケージに毛筆の書体で書かれた商品名。日本語ワープロソフト「一太郎」が、発売されたのは1985年8月28日だった。
34歳の時にこのソフトを開発した女性プログラマー浮川初子さんには、痛快な思い出がある。
1万円札を同封した現金書留の山、山、山――。ネット通販がなかった時代、ソフトの購入代金が郵送で届き、金庫に入りきらないほどになった。
一太郎は、日本語の文章をパソコンで書くという行為を当たり前にした国産ソフトだ。パソコンの職場や家庭への普及を背景に、爆発的なヒットを記録した。
ソフトの名前は「日本一になれ」と願って付けた。2歳年上の夫、和宣さんと2人で創業した徳島市のソフトウェア開発会社「ジャストシステム」は、日本を代表するソフトウェア会社に成長した。ただし、話には続きがある。
「本当によく稼いでくれました」
ジャストシステムの専務でもあった初子さんは、しみじみ語る。
1986年の春、当時35歳の初子さんは、徳島県の秘境・祖谷渓谷を訪れていた。前年8月に「一太郎」を世に送り出し、その後に急ピッチで開発した新バージョンもようやく発売。社員をねぎらおうと、社長の和宣さんと企画した2泊3日の社員旅行だった。

