「家の構えを見ただけでは、買ってくれるかどうかなんてわからない。ただし、駐車場に車が停まっていれば、それはいい情報です。どんな車に乗っているかがわかれば売り方を考えることができる。私たちが回るのは昼間ですから、基本的には奥さんしかいないわけです。名刺を置いてきて、反応を待つのが仕事ですね。結局、飽きることなく継続して名刺を置いてくるしかない。
よくセールスマンは外見が大事と言います。それは正しい。しかし、夏に飛び込み営業をやっていたら、誰だってひどい格好になる。靴は擦り切れていましたし、ズボンは生地がつるつるになっていた。汗だくで歩いているわけだから……。
どうして、そこまでやるのかって?
どうしてかなあ。少なくとも金のためじゃない。僕は金じゃなかったです。何なんでしょうね。やらざるを得ないと思っちゃったんですよ。
だって、いまでこそ成果主義になってますから、売れば収入が増えますが、あの頃は1台売っても歩合は1万円でした。値引きしたら7000円になっちゃう。だから、お金欲しさじゃないんです。名誉とか出世もどうでもよかった。ひとつのことをやり出したら、やめられないからやっただけ。売れるセールスマンはみんなそうですよ。金のことを考えたら効率の追求になる。そうしたら飛び込みはやらないです。僕は売れたのは嬉しかったけれど、どんちゃん騒ぎをしたことはないんです」
営業成績は伸びていった。入社してから数年を経ずして100台を売るセールスマンとなり、合わせて顧客も増えていった。顧客が増えればセールスマンは楽だ。車検の度に車を買い替えるひとが多いから、黙っていても、年に10台や20台は売れてしまう。さらに、顧客が知人を紹介してくれるから、その分も見込める。そのうえに展示会に来た客をつかまえれば、何台かが売れていく。
だが、そういった順風が吹くようになってからも、彼は知らない家を訪ねることをやめようとは思わなかった。展示会で声をかけられた客との商談に際しても、「駐車場を見ないといけませんから」と理由をつけて、必ず客の自宅まで出かけていった。客から電話があればすぐに飛んでいったから、顧客のなかには彼のオフィスを見たこともない人が大勢いるそうだ。
※この連載は『プロフェッショナルサービスマン』(野地秩嘉著、プレジデント社)からの抜粋です。