※本稿は、北村明広『俺たちの昭和後期』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。
昭和の音楽シーンを代表する名物番組
昭和53年1月19日、伝説となる歌謡番組がスタートした。昭和後期世代を虜にした『ザ・ベストテン』である。
日本の音楽シーンの多様化と進化に大きく貢献した。70年代から80年代へと移り変わる、いよいよ昭和の沸点へと向かうこのタイミンクで存在したことは、昭和の奇跡のひとつだと捉えているし、必然でもあった。
昨今、世界へと羽ばたくミュージシャンが後を絶たない礎として、燦然と輝いている。
当時、ラジオではカウントダウン形式のランキング番組が花盛りだった。
『ザ・ベストテン』がスタートした1978年1月時点では『コーセー化粧品 歌謡ベストテン』(FM東京/現TOKYO FM)、『全国歌謡ベストテン』(文化放送)、『森田公一の青春ベストテン』(TBSラジオ)、『不二家歌謡ベストテン』(ニッポン放送)、『決定!全日本歌謡選抜』(文化放送)などが各局で放送され、それぞれ人気を集めていた。
「今最も人気のある10曲」をテレビで紹介
一方、テレビでは『NTV紅白歌のべストテン』(日本テレビ系)や『ベスト30歌謡曲』(NET/現テレビ朝日系)が存在したが、ラジオのように上位10曲を紹介するのではなく、ランキングと出演者が一致しない番組しかなく、番組名と内容に乖離があった。
そこに『ザ・ベストテン』が登場した。
今最も人気のある10曲を視聴できる画期的な番組だった。
この番組については、昭和40年生まれの作家の濱口英樹さんに力を借りる。彼は『ザ・ベストテン』の重要性について一家言を持ち、生みの親と呼ばれる故・山田修爾さんをはじめ、番組関係者への取材を幾度となく行なっている。山田さんは、企画・演出を1回目の放送から手がけたTBS社員だ。
取材で受け取った金言の数々も、惜しげもなく披露してくれた。