関ケ原直前に行っていたリクルート活動

もちろんヨーロッパとの通交にも積極的だった。慶長5年(1600)4月、豊後(大分県)にオランダ船のリーフデ号が漂着すると、大坂にいた家康は、関ケ原合戦直前にもかかわらず乗組員を大坂城に呼んで尋問した。そしてイギリス人舵手のウィリアム・アダムスやオランダ人のヤン・ヨーステンを、自身の外交顧問にしている。

これがポルトガル、スペインのカトリック国のほかに、オランダ、イギリスという新教国が日本と交易する契機になった。慶長10年(1605)にはリーフデ号の乗組員が、家康の朱印状をオランダ東インド会社の提督に渡した。これを受け、慶長14年(1609)には同社の船がはじめて日本に来航。日蘭貿易がはじまった。