そのうえで、「フジテレビ事件」を俯瞰すると、メディア企業としての危機管理がお粗末だったことは間違いないが、ガバナンスが機能していないかどうかは見解が分かれるところだろう。

経営陣の女性に対する人権意識が低いという指摘はそのとおりで、中居の女性トラブル情報の共有を社長以下の一部にとどめたり、情報把握後も中居を番組に起用し続けたり、あげくに中途半端な記者会見を開いたことは非難されても仕方がない。だが、それをもって「ガバナンス不全」と言い切ってしまうには、いささか躊躇せざるを得ない。

フジテレビも、親会社のフジ・メディア・ホ-ルディングスも、統括するフジサンケイグループも、企業経営という面からは健全に運営していると言いたいに違いない。

フジテレビ本社ビル入り口
撮影=石塚雅人

「日枝王国」で培養された企業風土

そして、もっとも重要なポイントは、フジテレビが社会的信用を回復するためには、どのような景色になれば世間に受容されるのかという問題である。

だれにでもわかりやすい明快な方策は、経営陣や幹部の大刷新という人事にほかならない。

焦点となっている日枝久・取締役相談役は、女性トラブルに関しては耳に入っておらず「なんで自分が責められなければならない」と感じているかもしれないし、「自分がいなければフジテレビを立て直せない」とも強く念じているかもしれない。

だが、40年近くにわたってフジテレビに君臨して「日枝王国」を築き、現在の企業風土を形づくった本家本元であることは、だれもが認めるところだ。いみじくも、遠藤龍之介副会長は「影響力があることは間違いない」と吐露した。

「フジテレビ事件」の本質は、「日枝王国」で培養された企業風土そのものにあると言っていい。

先ごろ亡くなった読売新聞グループの渡邉恒雄主筆のように、長期にわたってメディア企業の実権を握ってきた事例は枚挙に暇がない。だから、長期政権そのものが一概に「諸悪の根源」とは言えない。

だが、日本中が注視する社会問題にまで発展してしまったフジテレビの新生には、「日枝久という傑物がいなくなった姿」が必須にならざるを得ないのではないか。

「鹿内帝国」と「日枝王国」で刻まれた60余年

「『日枝天皇』のいないフジテレビ」のありようを考えるうえで、フジテレビの歴史を簡単に振り返ってみる。

開局は1959年、在京キー局としては4局目だった。財界主導での設立だったこともあり、当初は「財界のためのマスコミ」ともいわれた。当初は混乱があったものの、ほどなくして日本経営者団体連盟(日経連)の専務理事から転身した鹿内信隆氏が社長に就任して全権を把握、長男の春夫、娘婿の宏明と続く鹿内ファミリーによる「専制支配」と呼ばれる時代が約30年も続いた。