「人間は考える葦である」「クレオパトラの鼻があと少し低かったら」という言葉をはじめ、珠玉の名言が収められたパスカルの『パンセ』。その中から、いま伝えたい言葉を鹿島茂氏が選んで翻訳したのが本書である。
出版のきっかけは、一昨年の秋、ある雑誌に、現代に蘇ったパスカルが若者の悩みにツイッターで答えるという形式の軽めのエッセイを書いたこと。
「飢餓が克服された社会における自我と幸福追求を集中的に考察したのが『パンセ』です。だから、現代社会にぴったりの箴言がいくつも出てくるのです」
パスカルが生きたルイ14世時代のフランスは、「飢えからの解放」が進んだ時代である。しかもパスカル自身は、裕福な父親のおかげで思索三昧の暮らしを送っている。人間は生存欲求が満たされたのち、何を求めて生きるのか。まるで現代人のような悩みを、パスカル自身が抱えていたのである。
なぜ借金は減らないか、なぜ問題は解決しないか、なぜ同じ間違いを繰り返すのか――。
「それは、つきつめれば人間はリスクや困難を宿命として求めている、ということです。そして、それらを克服するということが、人間の脳髄に刺激を与え、文明を進歩させてきたのです」
飢えから解放された人間は、「退屈」という名の永遠の課題と出合い、そこから逃げ出すための「気晴らし」を求める。労働も賭け事もボランティアも、すべては気晴らし。小さな困難を克服し、それによって快楽を得るという仕組みは変わらない。パスカルは書く。
「人間は、屋根葺き職人だろうとなんだろうと、生まれつき、あらゆる職業に向いている。向いていないのは部屋の中にじっとしていることだけだ」
今後の日本は高齢化が進み、国や社会の活力が低下すると心配されている。厳しい時代には違いないが、「日本人はかえって生き生きするかもしれない」と鹿島氏は予想する。なぜなら、国や自治体が負担してきたサービスの多くが財源不足で宙に浮き、市民自らが「やらなければならない」ことになるからだ。
「たとえば、われわれ団塊の世代が購入したマンションはそろそろ老朽化が進み、建て替えるかリフォームするかを決めなくてはなりません。そのときに、大変は大変ですけど、管理組合をまとめて理想の再生を果たすという『気晴らし』ができるじゃないですか」
幸も不幸も考え方しだい。パスカルから学べば、不景気な世の中も楽しく生きることができるのだ。