北の大地に浮かぶ「星」の光
第4位は五稜郭(北海道函館市)。幕末の元治元年(1864)に完成したこの城郭は、稜堡型と呼ばれる、15世紀にイタリア半島で誕生したスタイルで築かれている。
五稜郭タワーから見下ろすと、5つの稜堡が突き出て、全体が星形をしている。その外周は約1.8メートルで、幅30メートルほどの堀で囲まれている。稜堡は守るときにも攻めるときにも、死角を作らないためのものだった。現実には、幕末の時点では時代遅れで、役に立たなかったのだが。
冬場は2月いっぱいまで、日没から19時まで毎日、堀が電球で装飾され、五稜郭タワーから見下ろすと光の星が浮かび上がるように見える。それを観るだけでも価値がある。
第3位には、織田信長が自身の権力の象徴として、5重6階の絢爛豪華な天守を建てた安土城(滋賀県近江八幡市)を挙げたい。日本の城のあり方を変えたこの城の中枢部は、天正10年(1582)に本能寺の変ののちに焼失してしまった。
この城が豪奢かつきわめて独創的だったことは、宣教師ルイス・フロイスの『日本史』や太田牛一の『信長公記』などの記録から伝わっている。また、発掘調査が重ねられ、解明された点も多い。整備も進み、幅6メートル、長さ80メートルにわたって山上へとまっすぐ進む大手道など、復元整備されて壮観である。
ところが残念なことに、大手道から先の、本丸や天守台をふくむ城の中枢部は、かなりの木々が生え、繁っているために、存分に観察できるとはいいがたい。本丸跡にせよ天守台とその周囲にせよ、木々を伐採して整備すれば、史跡の価値も高まると思うのだが、現状ではそうなっていない。
しかし、冬場は少なくとも落葉樹の葉は落ち、石垣を覆う草木も枯れるので、夏よりはだいぶ観察しやすい。冬に訪れたほうがいい城である。
日本一の石垣を見るなら寒い時期
一方、2位に挙げる標高325メートルの段丘上に築かれた岡城(大分県竹田市)は、安土城同様に建造物はないが、整備が行き届いている。むろん、安土城と違って天下人の城ではない。文禄3年(1594)に播磨(兵庫県南西部)から移った中川秀成が、総石垣の近世城郭として整備したもので、明治維新を迎えるまで270年以上、中川氏が城主を務めた。
切り立った断崖絶壁上に、峻厳な地形を生かした縄張りが、そびえ立つ石垣で固められた城で、絶壁上に累々と連なる高石垣はこの上なく壮観。周囲の自然のなかで強烈な存在感を放っている。しかも、発掘調査や石垣の修復工事がこまめに重ねられ、少年時代を竹田で過ごした作曲家の滝廉太郎は、この城に「荒城の月」をイメージしたとされるが、「荒城」のイメージはない。
だから夏場に訪れても観察しやすいが、断崖絶壁とのマッチングも考慮に入れると美しさが日本一かもしれないこの石垣は、石積みのあいだを埋める草木などが枯れた冬に眺めるのが、圧倒的に美しい。