原子力開発に関しては、エネルギー戦略とニュークリア(核)戦略を表裏一体で進めてきた経緯がある。表向きは「持たず、つくらず、持ち込ませず」という非核3原則で原子力の平和利用を謳いながら、いざとなったら90日以内に核兵器が製造できるニュークリアレディ国(核準備国、準保有国)を自民党政府は目指してきた。

その背景には、冷戦の枠組みの中で、アメリカも日本が準保有国になることが他国への抑止力になると判断し、積極的に支援してきた過去の歴史がある。

使用済み核燃料からプルトニウムを抽出して再利用するプルサーマル技術、そして高速中性子による核分裂連鎖反応を用いた高速増殖炉。これらの開発政策は、裏を返せば核兵器の燃料になるプルトニウムを国内に蓄えるための口実でもあった。もちろんウラン235の濃縮も遠心分離技術を使って国内でできるようになっている。

一方、日本は唯一の被爆国で、国民の核アレルギーも非常に強い。だからそれをなだめるために、9つの電力会社すべてに原発を持たせた。どこの原発にも原子炉より立派な広報センターが付設されているのはそのためだ。

こうして周到に推進された原子力行政の影響もあり、石油危機以降、日本のエネルギー・電力需給環境は、非常にバランスよく構成されてきた。180日分の石油備蓄が確保され、調達国もブルネイ、カタール、アルジェリア、オーストラリアと分散が進んだために、数年前まで日本のエネルギー問題は他国と引き比べても極めて安定した状況にあった。

このように国民にも、世界にも説明せずに、日本のエネルギー政策は、デリケートな話として綿密に組み立てられてきたが、それを震災と津波という“テロリスト”が不意打ちで叩き壊してしまったのである。自民党の政権下で誰にも説明せずに進めてきたエネルギー政策の裏に隠された部分は、民主党政権には引き継がれなかったため、福島第一の大事故の中で政府は迷走することになった。