自己完結するときに使える最高の言葉

生きていたらショックな出来事に遭遇することもありますよね。私も最近、ナレーションのオーディションに3回連続落ちて、少し元気がありません。

このようなときに、ショックな出来事を真っ向から受け止めると、心は壊れてしまいます。そうならないために、私はこう呟くようにしています。「萎えるわ〜」。「萎える」という言葉を聞くと、皆さんはどのようなイメージを持たれますか?

私は、植物がしおしおにしおれて、葉が垂れて元気がなくなっている非常にかわいそうな状態が目の前に浮かびます。しかしまだ枯れてはいません。枯れてしまったらそこで終わりですが、萎えている状態の植物は、水を与えたらまた復活します。

なので私は、あまりにもショックなことがあったときや、とてつもなく腹が立つことがあったとき、深く傷ついたときなどには、復活する余地のある状態の「萎えるわ〜」という言葉を口にするようにしています。

「私は大丈夫」とか「ピンチはチャンスだ」とか、プラスに変えることができたらいいのですが、そこまで持っていけないくらい気持ちが落ち込んだときは、「萎えるわ〜」がいい。「萎える」という言葉には不思議な力があり、ひどく腹が立っていても、どんなに悲しいことがあっても、一旦心を逃がすことができるのです。

「腹立つわ〜」と言ってしまうと怒りの感情に飲まれてしまいますが、「萎えるわ〜」だと脱力感と共に不思議と穏やかな気持ちになります。自己完結するための手段として用いるには「萎える」は最高の言葉なのです。

カレンダーに、大きな付箋で「お休み」
写真=iStock.com/Moyo Studio
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あえて鈍感でいることも大切

この言葉を口にするときには、顔の筋力もすべて脱力し、どこにも力を入れずに、「ら行」さえ言えないくらいのだらけた滑舌で「なえぅわぁぁぁ」と、へなへな感を最大に出しながら言うのがポイントです。

しおしおに萎えた植物になりきり、少し休みましょう。大丈夫です。萎えても必ず復活できます。枯れていないのですから。

「鈍感」と聞くと、どのようなイメージを持たれますか? 人の気持ちがわからない、気が利かない、空気が読めない……そんなマイナスな言葉が連想されますよね。しかし、私は、「あえて鈍感でいる」ことも大切だと思っています。

発達障害を持つ私たちは、日常生活の中で些細なことに傷ついたり、深く落ち込んでしまったりするところがあります。これはミスにより叱られた経験などが多くて、自己肯定感が低くなってしまっていることが原因としてあげられます。何か問題が起きたときに、過去の記憶がフラッシュバックしてしまうのです。

鈍感であることは、自分の心を守ることに繋がります。何か物事が起きたとき、それを重要なこととして捉えるのではなく、あえて「たいしたことないぞ」と捉えるようにしてみてください。

誰かから何かを言われて傷ついたとき、深く考えないようにしてください。なんでそんなことを言うんだろう、とさまざまな憶測をすることはやめましょう。

うまくできなくて叱られてしまったとき、「知らんがな」と心の中で呟いて受け流してください。私たちは自責の念に駆られると、本来できるはずだったことまでも、できなくなってしまいます。