桂昌院にも信任を得て、大奥を味方に

綱吉の生母・桂昌院への気配りも忘れなかった。とくに綱吉は親孝行で、ある意味、母のいうことなら何でも耳を傾けた。だから吉保は桂昌院を確実に味方につけておく必要があった。じつは桂昌院もたびたび柳沢邸に来臨している。その都度、吉保は彼女が感嘆するような工夫を凝らした。

あるときなど、全国の珍品を集めた店棚を縁日のように庭園にずらりと並べ、気に入った品々を土産として献上している。元禄15年には、莫大な金品を朝廷に贈って盛んに運動し、ついに桂昌院の従一位の叙任に成功したのである。