ロスで改革断行 ボス以下を一新
1995年5月、米国のリース子会社のロサンゼルス支店長に着任した。ほどなく、古いファイルに綴じられた書類を開いて、驚いた。ロスでは、かつてイベントや宣伝用に、飛行船のリースも手がけていた。3年前に事故があり、打ち切ることになって、ようやく飛行船の売却が決まった。その事故報告書だ。
現地社員が書いた内容は、ずさんだった。東京の本社へ出したであろう日本語の報告書を探したが、みつからない。仕方なく、それまでの経緯を含めて、自分で新たに報告書を書き、本社へ送る。すると、「これは何だ?」と問い合わせがきた。説明すると、そんな事故があったという報告書は出ていない、という。
再び驚いて、35人いた現地社員に聞くと、ロスの案件は事故などがあっても、いっさい本社へ報告していなかった。10万ドルから20万ドルの小口リース案件が不良債権化しても、同様だ。現地社員たちは、本社に報告するルールがあることも知らず、支店長に話せば終わり、と思っていた。社内ルールは日本語で書かれたものしかなく、支店長が教えようとしなければ、米国人たちは知りようもない。
「これではまずい」と思い、ルールの説明を始めると、古くからいる社員たちは「イエス・サー」とは言っても、やろうとはしない。日本人の部下が1人いたが、多様な仕事を抱えていた。結局、自分で100件ほどあった問題案件の報告書を、英語と日本語の両方で書く。43歳になる秋口に、すべて終えた。
そのころ、3度目の驚きに遭遇する。本社の人間に電話をしたとき、「あなたは、東京の関係部署を不幸にしています」と言われ、なぜかと尋ねると、「たかが10万ドルの事故報告でも、全部、誰かに担当させて、上へのリポートを書かせねばなりません。それは不幸なことです」と言う。「おい、冗談じゃない、会社のルールじゃないか。では、東南アジアの拠点はどうなのだ」と聞くと、「東南アジアからは、事故報告など一件もきません。完璧な仕事をしています。そんな事故報告がくるのはロスだけです」と答えた。
「そんなはずはない、よく調べてみろ」と言って電話を終えたが、それっきり、何も言ってこない。2年後、アジア危機が起きた。すると、アジアの拠点でも、不良債権化の報告を本社に出さず、現地で勝手に処理していたことが判明する。拠点が相次いで苦境に立つ。「言った通りじゃないか」と言いたかったが、よそのことに構ってはいられない。ロスでの業務改革が、続いていた。