1頭揚げるだけで1000万円もの値が付く

20トン超のニタリクジラが映るモニターから目を離さずに、阿部は説明した。

「調査捕鯨から商業捕鯨に変わりましたが、捕獲できるクジラの数が決まっていることは変わりません。商業だからって、何でもかんでも捕っていいわけじゃない。捕れる数も種類も厳密に定められています。だから経費を抑えて、できるだけ大きくて、脂が乗ったクジラを狙わないと利益が出ないんです。移動の燃料費も人件費もバカになりませんからね。製品にした鯨肉の歩留ぶどまりが悪いと、乗組員みんなの暮らしに影響が出てしまいますから」

歩留まり。調査捕鯨の現場では耳にしなかった言葉である。

クジラは体重の約50%を食肉にできる。単純計算で、鯨肉がキロ1000円で売りに出されたとする。

2頭目のクジラは約20トンだから、50%が食肉となれば1000万円を超える。1頭目の700万円との差額は、300万円に上る。

発見したクジラは、第三勇新丸のボースン(甲板長)・片瀬尚志が大きさを推定して日新丸ブリッジに報告する。そのクジラを捕獲するか。捕獲を見送り、次のクジラを探すのか。

最終的に決めるのは、船団長の阿部である。

阿部の判断ひとつひとつの積み重ねが売り上げを左右する。

いつか誰かが口にした一言を阿部も口にした。

「胃が痛くなりますよ」

のちに私はそれが言葉の綾ではないことを知る。

過去の捕鯨と何が変わったのか

歩留まりについて話してくれたのが、鯨肉製造の責任者である藤本聡である。2022年の航海時点で37歳の船員だ。

「仮に船員の日当が1日2万円だとします。船団を動かそうとしたら人件費だけで毎日200万円から300万円の固定費が必要になる。一頭も捕れなかった日は、300万円のマイナス。捕れた日は捕獲したクジラの大きさを見て、これなら経費が賄えるなとか、ちょっと厳しいな、とか……そんなふうに考えるクセがついてしまいました」

乗船し、解剖の現場を見学した私は、すぐに三つの変化に気づいていた。

ひとつ目が、クジラを解剖するデッキの床に敷く素材が変わっていたことだ。

調査時代は木材だったが、商業捕鯨の乗船時にはプラスチックのような素材になっていた。解剖デッキはいわば、クジラをさばくまな板だ。デッキを歩いてみて、まな板が木からプラスチックに変わったと気がついたのだ。

二つ目の変化が、クジラの排泄物である。

かつては、解剖デッキに引き揚げられたクジラの肛門から排泄物が垂れ流されていた。現在はクジラがデッキに揚がると、いち早く肛門にウェスを詰める。

そして三つ目が水まきである。デッキ上を海水で常に洗い流しながら解剖を行うのだが、調査時代の航海では、そこまで徹底されていなかった覚えがある。