結婚時に夫婦が同姓か別姓かを選べる「選択的夫婦別姓」が争点になっている自民党総裁選。反対派の主張は「別姓だと家族の絆や一体性が弱まる」だが、本当にそうなのか。昭和女子大学特命教授の八代尚宏さんは「若い世代は別姓選択に賛成であり、それを無視した決定をすると未婚化が上昇し、少子化がさらに進む可能性がある」という――。
婚姻届
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「別姓だと家族の絆や一体性が弱まる」は本当か

9月の自民党総裁選で、結婚の際に夫婦が同姓か別姓かを選べるようにする「選択的夫婦別姓」が、大きな争点のひとつとなっている。賛成派は、結婚で姓が選べないことの不利益を強調する一方で、反対派は、家族の一体性を示す姓は残すべきと主張する。

こうした問題が、事実上の総理を決める与党の総裁選のテーマとなるのは珍しい。法務省によれば、夫婦が同じ姓でなければならない制度の国は日本以外にはないという。世界では家族のあり方に関しては、同性婚の是非がむしろ大きな争点だが、それと比べて日本の現状は周回遅れといえる。

この問題は、とかく夫婦が同姓(氏)であるべきか、それとも別姓であるべきかの意見対立の構図で見られてしまっている。

しかし少し前のデータだが、「仮に結婚の際に姓の選択ができるようになればどうするか」を聞いた平成13(2001)年の世論調査では、「夫婦同姓を希望する」との答えが50%であり、「別姓希望者」は18%だった。仮に今後、別姓が選択可能になっても、実質的にはほとんど変化は生じないかもしれない。

だからといって、現状のままでよいというわけにはならない。

重要なのは、あくまで「夫婦別姓を選択したい」という意見を持つ人が一定数存在するということだ。そうした人々の希望を禁止しなければならないほどの「公益性」が、現在の夫婦同姓制度にあるのか。それこそが真の争点となるべきだ。

本来の民主主義社会では、他人に迷惑を及ぼさない限り、個人の自由度はできる限り尊重されるべきだ。選択したい人には選択させるべき、というのが筆者の考えだ。

最近のNHKの調査では、夫婦別姓選択への賛成理由としては、「選択肢が多いほうがいい」「(結婚などで)名字が変わると仕事や生活で支障がある」「女性が名字を変えるケースが多く不平等」「自分の名字に愛着がある」などであった。

他方で反対理由としては、「夫婦が別の名字では家族の絆や一体感が弱まる」「子どもに好ましくない影響」「別の名字にすると、まわりの人が混乱」「旧姓のまま使える機会が増えている」などであった。

これらは、いずれも自分自身の選択肢としての回答であり、「なぜ他人(社会)に夫婦同姓を強制しなければならないのか」という質問への十分な答えにはなっていない。

夫婦が同姓であることは、家族単位の社会活動をする自営業や専業主婦世帯が大部分を占めていた時代には当り前のことであったかもしれない。

しかし、現在では、夫婦がそれぞれ個人として独立した社会活動を行うことが一般的になりつつある。このため、公的資格の保有者や研究者など、結婚や離婚をしても変わらない、個人として連続性のある姓が必要な場合が多い。

職場などでは、結婚前の旧姓を通称として利用する選択肢もある。単に、それを広げれば良いという意見もある。その一方、氏名は個人を識別する重要なデータであり、それが複数あることは問題だ。例えば外部から法律上の名前で問い合わせがあった場合に、本人だけでなく、職場の関係者にも混乱をもたらす可能性はある。そうしたデメリットも含め、社会に夫婦同姓が絶対に必要か否かを検討しなければならない。