「差別化」にもとづく自動運動
常見さんや村上さんの批判や指摘に私は基本的に賛同するのですが、一方でこうした批判や指摘は何を生むのだろうとも考えます。常見さんらは、ただ批判をして終わることは不誠実だとして、セルフブランディングを相対化したうえで、先のようなメッセージを発していました。しかしそれこそがまさに、次なる自己啓発書が生まれる母体になるのではないかと考えるのです。
流れとしてはこうです。2009年までのブランド論は「自分らしさ」と「他人がみる自分」を一貫させようとしていました。それに対して2010年以後は「自分らしさ」にこだわるばかりでなく、「他人に受け入れてもらえる自分」を重視し、ソーシャルメディアの効果的な利用法を論じるようになります。さらにそれに対して常見さんらの批判は、2010年以後のブランド論は時に情報発信ばかりが突出してしまうため、より地道に仕事に取り組むことや、自分を高める努力が必要だ、としてブランド論を切り捨てています。ここで行われた切り捨てが、次なる差別化(いわば、これもブランディングです)を図る自己啓発書を生むのではないかと考えるのです。
というより、実際にそのような自己啓発書が既に登場しています。「バリ島に住む関西弁の日本人大富豪」である兄貴(丸尾孝俊)さんによる『大富豪アニキの教え』がそれです。同書では、ブランド論で推奨されるような、ソーシャルメディアの活用が批判的に言及されています。たとえば以下の通りです。
「フェイスブックやメールこそが人間関係を軽くするんや。(中略)『人と人とのつながり』をフェイスブックやメールだけですませるのは、間違いだとオレは思うんや」(60p)
「実際に会ったことがなく、『フェイスブックやメール上でのやりとりしかしたことがない相手』って、おるやろ? そんな相手は、『相手を自分ごとのように大切にする心(つながり・絆・ご縁)』を持った『ホンマもんの仲間』であるはずがないんや。『ホンマもんの仲間』でなければ、その人のためになにかをしてあげたり、おせっかいを焼こうとも思わんで」(61-62p)
主張の是非はともかく、ソーシャルメディアの活用はあくまでも連絡手段であって、それは「ホンマもんの」結びつきにはならない、そうではなく「相手を自分ごとのように大切にする心」で目の前の人々に日々接していくことが本当の「つながり」を生むのだ、と繰り返し述べられています。つまり、特に2010年以後のブランド論に示されているような「つながり」観が否定され、その代わりに別様の、つまり差別化された「つながり」観が示されて同書の主張となっているわけです。
つまるところ、自己啓発書とはこのように、差別化に差別化が重ねられていき、それを俯瞰して見ると、あるいは時を置いてみると自動運動しているように見える、そういう書籍ジャンルなのだと思います。
もう少し具体的に述べます。自己啓発書の基本原理は、これまでの連載を通して見てきたように、「心」を重視するというものです。しかし、それに対する差別化が行われてソーシャルメディア上の「つながり」を重視する2010年以後のブランド論が台頭し、さらにそれに対する批判を行う『大富豪アニキの教え』のような著作が別様の「つながり」観を主張します。あるいは地道な仕事への取り組みや、もともとの能力向上が重要だという主張も生まれ、ともするとやはり「心」が重要だという主張がもう一度なされる、等々。このようにして、前回の「仕事論」の終盤において少し言及した、次々と「これまでにない啓発書が出た!」と喧伝されるサイクルは続いていくのではないでしょうか。
さて、今回は今までで一番長くなってしまいました。私自身、思い入れが強いとどうしても長くなってしまうようです。次回は第3テーマ「年代本」において宿題となっていたことに取り組みたいと思います。次回の素材は「女性向けの年代本」です。