実力もないのにブランディングするな
常見さんや村上さんの批判、指摘はセルフブランディングの何を批判しているのでしょうか。これは、ブランド論が看過してきたある側面を突いているのだと考えることができます。その側面は、ブランド論においては以下のようなかたちで言及されています。
「『私はこれができます!』と“自信をもって言い切れるあなた”になることをめざすのだ。誤解してほしくないのだが、これはうわべのウソでその場を乗り切れ、ということではない。自信をもって言い切るバックグラウンドには、あなたが相応の力をもっているという前提が不可欠だ」(藤巻、96p)
「知名度に見合う実力や『成しえた』成果があなた自身になければ、単なるピエロに終わってしまう可能性があることを覚えておいた方がよいでしょう」(大元、112p)
ブランド論ではこのように、自分が他人と差別化できる能力、あるいは誰かのニーズに見合うサービスを提供できる能力を「もともと持っていること」がしばしば前提とされています。常見さんらの批判はこの点を突いたものと言えます。つまり、能力や業績もないのに、アピールだけをしてもしょうがないだろう、それはむしろ「痛い」ものだろう、と(しかし、少し考えると、常見さんらの批判は藤巻さんらによって既に織り込み済だったと見ることもできます)。
だからこそ常見さんは、「空回りをやめて、現実を見よう」(200p)、「自分磨きは、ウソだ。その前に、まず目の前の仕事をしろ。人脈は、ウソだ。その前に、近くにいる家族や仲間、恋人を愛するのだ」(203p)として、セルフブランディング、広く言えば自己啓発やソーシャルメディアによってガラッと現実が変わるという幻想を捨て、清濁まみれる現実を生きよと主張されているように思います。